中野英雄、サバンナRX-7から始まった愛車歴を語る 一世風靡時代や『愛という名のもとに』当時の知られざるエピソードとは?
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第55回。前編では、俳優の中野英雄さんがかつての愛車と久しぶりに対面した! 【写真を見る】中野さんの愛車歴はこちら(22枚)極上の初代シティ・ターボⅡも公開!
初めての愛車はマツダのスポーツカー
アラフィフ世代以上なら、1990年代のテレビドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ系列)で“チョロ”を演じた、と、言えば知らない人はいないだろう。 その後も映画、ドラマ、Vシネマと存在感のあるバイプレイヤーとして活躍し、今や人気俳優、仲野太賀の父としても知られる、俳優の中野英雄さん。 取材現場に現れた中野さんは日焼けした肌にタンクトップ、ショートパンツ姿。64年生まれで今年還暦を迎えるとは信じられないほど逞しく、若々しい。 「ガキのときは本当にヤンチャしていましたね。バイクやクルマに乗っても転んだり、ぶつけたり。18歳でクルマの免許を取り、初めての愛車は赤いマツダ『サバンナRX-7』でした。義理の親父が新車で買ったのを『乗っていていいぞ』って、なかばくれたようなもんでした。母親や義理の親父とは離れて暮らしていたから、気にかけてくれたんでしょうね」 1978年に登場した初代サバンナRX-7(SA型)は、マツダ得意のローターリーエンジンを搭載し、リトラクタブル・ヘッドライトを採用した、当時としては画期的なスポーツカーだった。クルマ好き垂涎のRX-7との蜜月は、しかしたった1年で終わってしまったという。ある日仲間と“走り”に出かけた中野さん、カーブを曲がりきれずにクルマをぶつけてしまう。
重宝されたホンダ・シティ
「ボンネットが三角に折れ曲がって、ヘッドライトも開かなくなっちゃった。なんとか走って帰ってきたけど、直すには相当なお金がかかる。どうしよう……と悩んでいたら、知り合いの中古車屋から、『出たばっかりの(ホンダ)シティがあるんだけど、RX-7と交換してもいいよ』と、言われて。もうスポーツカーはいいかな……と、思っていたんで、そうしようと。当時、若者の間では赤いマツダ『ファミリア』が人気で、ああいうちょっとナンパなクルマもいいなという気持ちもありましたね」 ホンダ・シティは1981年に登場した。全長3.38mのコンパクトなボディながら背の高い“トールボーイスタイル”が受け、若者を中心に人気モデルとなった。中野さんが乗っていたのは1.2リッター直4エンジンを積む標準モデルだったが、その後、「ブルドッグ」と、呼ばれたインタークーラーターボ付きモデル、オープンモデルの「カブリオレ」なども追加された。 「ボディカラーは赤で5速マニュアル。とにかくカワイイし、運転も楽しいクルマだったな。小さいけど人も乗れるし荷物も積める。デートから引っ越しまで、なんでも役に立ってくれましたよ」 シティに乗り始めたころ、中野さんに大きな転機が訪れる。学生時代からの遊び仲間だった哀川翔さんに誘われ、「劇男一世風靡」に入団したのだ。一世風靡は80年代から90年代にかけて、原宿などの路上で寸劇やダンスなどを披露し、人気を博したパフォーマンス集団。そこから派生した「一世風靡セピア」には哀川翔や柳葉敏郎らが在籍し、『前略、道の上より』などヒット曲も生まれた。 「と、いっても最初は付き人。当時、一世風靡は総勢50人いて、その一番下が僕だった(笑)。シティは持ち込みだし重宝されましたよ。セピアのメンバーが野球の試合をやると言えば、グローブやバットを積んで九州や北海道まで走ったり。いちばん役に立ったのは、メンバー同士が揉めているときでしたね。哀川君が喧嘩している2人をシティに乗せて、話しながら移動するんです。『お前は劇団のバンを運転しろ』と、言われて」