運転中、気づくと目の前にトラックが「死んでいたかもしれません」 命に関わる経験を経て…「自分に素直に生きる選択」で得られたものとは
私たちは忙しい毎日に、自分のことを考えるのがおろそかになったり、やりたいことがあっても世間体を気にしてなかなか踏み出せなかったりすることも。 【写真】職場ショット(えりさんより提供) しかし「明日が当たり前に来るかわからない」を経験したらどうでしょうか。 今回お話を伺ったのは、現在カナダに滞在中のえりさん。 えりさんは大学卒業後から、小学校教諭として働いていました。しかし、ハードな毎日を過ごす中、3年ほどたったころに「自分はこのままでいいのか」と考えるようになります。 それはえりさんの身に「当たり前」や「いのち」に関わる、3つの大きな出来事が立て続けに起きたことがきっかけでした。 その結果、いったん立ち止まり、これからの生き方について考えて、あることに挑戦したのです。 「とてもおおらかになり、生きやすくなりました」と話してくれました。 えりさんが経験した大きな出来事とは一体何だったのか。そこからどんなことに挑戦し、どのような経験から自分が変われたと感じられたのでしょうか。
後悔してからでは遅い。できるときにやらないと。
えりさんの身に起きた出来事の1つ目。それはおばあさまが、ある日突然話せなくなったことでした。 原因は脳出血。朝に「バイバイ」と言い合い、えりさんが家を出たあと、おばあさまはトイレで倒れてしまったのです。それから話せなくなり、約1年後には亡くなってしまいました。 このとき「人生いつ何が起こるかわからない」と感じたというえりさん。 そして2つ目は、えりさん自身が交通事故にあったこと。 いつも車で出勤していたえりさん。しかしその日は、気づいたら自分が対向車線にいて、目の前にトラックがありぶつかってしまったのです。どんどん息が苦しくなり、意識が朦朧としていくなかで「人間ってこんなに簡単に死んでしまうんだ」「もっと伝えたいこと、やりたいことがあったのに」と感じたといいます。 幸い一命は取りとめたものの、事故にあった車を見た自動車会社の人から「本当に生きてたのがラッキーです。軽自動車に乗っていたら死んでいたかもしれません」と言われて、えりさんは今後の自分の生き方について、より考えるようになりました。 3つ目が、コロナウイルスの蔓延。 教員だったえりさんは、休校や分散登校など、今までにはないイレギュラーなことが起きる日々に戸惑い、そして、目の前の子どもたちがやりたいことに挑戦できない姿を見て、もどかしさを感じたといいます。 「自分たちではどうにもできないことが起こる。明日、世界がどうなるかわからないと強く感じました」と話してくれました。 この3つの経験から「明日死んでも後悔しないように、自分のことを一番に考えて生きたい」と思うようになったのです。 すると、密かに思い続けていた「留学」が浮かんできました。 もともと英語が好きで、大学時代にカナダへの留学経験があったえりさん。しかし、不完全燃焼だと感じていたため、いつかもう一度チャレンジしたいと思っていました。