よくあんな15歳の生意気なガキを仲間に入れて、面倒見てくれたなってーー中3でJ1デビュー、森本貴幸の今
アビスパで削れていく「トゲ」、ギリシャに求めた活路
―見た目自体も、以前のパワー系から変わった印象があります。 「2013年に以前の身体で日本に帰ってきたら全く走れなくて、体重をめちゃ落としたんですよ。やっぱり日本だと走れないといけなくて、以来ずっとこんな感じです。あと、その後フロンターレに行ったことが大きかったです」 ―当時の監督は? 「風間(八宏)さんです。風間さんでマジで感覚がかわりました。『ストライカー不在』って良く言われるじゃないですか。フロンターレってストライカー云々じゃなくてやっぱその前の崩すところがレベル高くて、簡単に崩して点をとるのでそちらに目線がいきましたね。全く違うサッカー観を風間さんや、(攻撃的MFでパスをくれる)大島僚太に教わった感じです。大島には『プルアウェイの動きとかいらないから、俺のパスに合わせれば動いたことになるから』って言われて、目からウロコでした。他に天才って思ったのはシンジ(香川真司)くらいですからね。フロンターレの2年は本当に貴重でした。でも自分の下手さも身にしみました。こんなうまい人たちいるんだ、って感動しましたね」
―その後アビスパ福岡を経てギリシャ3部コザニに加入しました。 「アビスパに行ったの、29歳の時なんですね。その頃、もともとあったはずの『トゲの部分』が削られていくのを感じていて。もう日本を飛び出そうと思ったのが32 歳の夏でした」 ―なぜまたギリシャ3部に? 「正直どこでもよかったんですよ。コザニは正式にぱっとすぐオファーくれたんです。18歳の時にスパイク一つでカターニャに行った時みたいな気持ちになれればどこでもよかったんですよ」 ―コロナ禍真っ只中の2020年10月でした。 「面白かったんですけどね、公園で練習したりして。セルビア人の監督でつなぐサッカーしてて、軸として使うって言ってくれてたんですけどね。ギリシャの熱すぎるファンの前で試合してみたかった」
今考えたらとんでもないことだし、人間形成としてはダメなんじゃないかな
ギリシャ3部リーグ再開のメドがたたず12月に一時帰国、年明け1月からパラグアイで7月に契約解除と、以降は前述の通りの流れだ。10代のサッカー少年たちの指導もしながら、その年代だった自分について思い出すのだと言う。 「全然レベルは高いとは言えないから、教えるのはとても難しくて。どうしようかと思ったんですけどボールを蹴って、ボール回しとゲームをたくさんやりました。それでも、僕が監督した半年間だけでもすっごい選手は上手くなったんです。でもね、今教えてる子供達は一番上が16歳なんですよ。これくらいの歳で俺はJリーグで試合に出たんですよね。今考えたらとんでもないことだし、人間形成としてはダメなんじゃないかなって」 ―トップレベルの経験でなく、同世代との経験が必要だったと? 「選手のタイプにもよると思うんですけどね。自分たちの時は自分の代でヴェルディユースが高円宮杯(U-18、2005年大会)で優勝してるんです。だからそういう経験もしたかった。一昨年リハビリでヴェルディユースと練習させてもらった時に、橋本陸斗くんが当時2種登録(U-18に所属しながらプロチームの試合にも出場可能)していて、トップのメンバーに入らないときはユースで試合に出られるのを見ていて、自分は早い段階で450分出場してプロ契約になってしまって制度上ユースの試合に出られなかったんですけど、トップチームで試合に出られない時期もかなりあったので、ユースの試合に出られたりとかしたらよかったなと思いましたね」