【追悼】「一歩違えば豊中のチンピラになってたかもしれへん」火野正平さんの「秘めたる激情」と「後輩から慕われた優しさ」…モテ男の人柄がなせた「名演」の記憶
11月14日に逝去された火野正平さん。江戸の町を駆ける時代劇から自転車で全国を旅する番組まで多くの作品で愛され、昭和を代表するモテ男としても知られていた。そんな火野さんを追悼し、『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』でロングインタビューを行ったライターの高鳥都氏が「俳優・火野正平」の代表作を解説する。 【画像】火野正平さんの若かりし頃含む写真多数
子役として芸能界の浮き沈みを目撃
昨年2月、ご自宅で取材を行ったばかりだった。役柄そのまま、ラフでシャイで優しく、「俺、ようしゃべるな、おい」と自分にツッコミを入れていた。享年75、あまりにも急な訃報に驚いたが、一介の火野正平ファンとしてその軌跡を振り返っていきたい。客観性を保つため文中敬称略で、ご了承ください。 1949年東京生まれの火野正平、本名・二瓶康一は12歳より子役の活動をスタートし、引っ越し先の関西で売れっ子となる。本名のまま『わんぱく砦』(66~67年)の伴刀左衛門役でブレイク、続く『無敵!わんぱく』(68年)では主演に抜擢される。 のちに必殺シリーズのプロデューサーとなる朝日放送の仲川利久が両作とも監督を務めており、結婚の仲人を頼むなど「恩師」として慕っていた。子役として芸能界の浮き沈みを見てきた火野だが秘めたる気性は荒く、「ギャラを上げる」という約束を反故にされて製作会社の社長を追い回したこともある。筆者の取材にも「一歩違えば豊中のチンピラになってたかもしれへん」と語っており、人気低迷中は麻雀で暮らしを立てていたという。 やがて星野事務所に所属して上京、NHK大河ドラマ『国盗り物語』(73年)の木下藤吉郎役をきっかけに「火野正平」となる。名づけ親の作家・池波正太郎より「正」の字を授けられた。同作では近藤正臣が明智光秀を演じており、事務所の先輩である近藤に「役者は感性」だと学んで、再ブレイクを果たした。 翌74年には筒井康隆原作の『俺の血は他人の血』で映画初主演を務めるが、もっぱらテレビを活躍の場とした。『傷だらけの天使』(74~75年)では萩原健一扮するオサムの相棒・アキラに予定されていたが、スケジュールの兼ね合いから降板し、水谷豊へと交代。 その代わりに出演したのが『斬り抜ける』(74~75年)だ。不義者の汚名を着せられた男女の逃避行という時代劇で、火野の役どころは「よろずやの弥吉」。近藤正臣演じる楢井俊平と旅をともにする相棒であり、「汚ねえ金でも金は金」とあぶない仕事を持ちかける。 ラフでナチュラルな演技、ちゃらんぽらんなようで熱いキャラ、地毛のままカツラをつけず、(ロケ先が寒いので)毛布を巻いたまま出演……そんな「自由」な振る舞いは、のちに数々のテレビ時代劇で演じた役柄のハシリであり、懸命に走る姿もまた定番となった。 朝日放送と松竹による『斬り抜ける』の実制作は、京都映画(現・松竹撮影所)が担当。必殺シリーズを送り出した撮影所であり、子役時代からスタッフとも顔なじみの火野にとって、自分の家のような仕事場であった。
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