寒い時期だけの絶景! 環七地下の「調節池」見学ツアー…洪水からまちを守る巨大トンネル潜入
江戸時代から続く水害と対策の歴史
東京都建設局河川部の渡辺修さんによると、「神田川・環状七号線地下調節池のインフラツアーは、河川施設整備の目的や効果について理解を広げるためにスタートした」という。 「東京は、徳川家康の開府にあわせて都市化とまちづくりを進めてきました。江戸城を築城する際には日比谷入江(現在の日比谷、新橋付近)を埋め立てるなどしました。その一方で、大雨などによる水害が多発していたこともあり、同時に治水対策も行われていました。 例えば、荒川は利根川の支川でありましたが、利根川と切り離す瀬替工事を実施したり、東京湾に流れていた利根川を銚子へ付け替えるといったことです」 江戸時代では毎年のように大雨や暴風による水害が起こっており、寛保の洪水、天明の洪水、弘化の洪水は江戸三大洪水としても有名だ。特に、寛保2年に起こった寛保の洪水は被害規模が大きく、荒川の氾濫により数多くの犠牲者を出した。 江戸時代以降も、各時代で甚大な被害をもたらした水害は続き、昭和に入ってからも、利根川の堤防が決壊したり、高潮による水害も起こった。 「平成でも、例えば平成17年(’05年)9月4日の集中豪雨により、神田川流域において大規模な浸水被害が発生しましたし、令和元年(’19年)の台風19号でも、奥多摩町で都内過去最大となる650mmの記録的な大雨により、多摩地域を中心に浸水被害が多数発生しました」 こういった水害が起こる背景には、東京都を含む関東平野南西部の地形がある。 「東京都は東西に長く、西部にある多摩西部山地や武蔵野台地から東京湾へ東に向かって河川が流れています。隅田川より東部は『東部低地帯』といって、満潮位よりも土地が低くなっています。台風が来ると気圧が下がり、海面が上昇してしまうので、高潮対策を講じる必要があります。 一方の西部は、都市化に伴って地面がアスファルトやコンクリートに覆われたことで水が浸透しにくくなり、大雨などによって中小河川が氾濫しやすくなりました。そのため、西部では河川を拡げて効率よく水を流すことが必要です。 しかし、都内を流れる河川を拡げることは現実的ではないことから、時間50mmを超える対策は調節池等で行うことを基本としています。調節池のうち、地下トンネル式は必要な事業用地が比較的小さく、複数の地点・流域から洪水を取水でき、施設規模やルートの柔軟な設定が可能という利点を有しています」