『源氏物語』最大のナゾ。なぜ藤原氏全盛期に<源氏>?なぜ源頼朝らが傾倒した痕跡はない?日本史学者「広まったきっかけは室町幕府・足利義満で…」
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回「源氏物語」について、『謎の平安前期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 【写真】「源氏物語貝桶」江戸時代。斎宮歴史博物館蔵 * * * * * * * ◆なぜ藤原氏の全盛時代に「源氏物語」だったのか 平安時代に紫式部が創作した小説、『源氏物語』。世に数ある物語の中でも、ひときわ時代を超えて愛されてきました。 その理由はいろいろあると思われますが、実は政治的な背景も無視することはできません。そもそも『源氏物語』が『藤原』物語であれば、この話はどこまで残っていたと言うほど、源氏という言葉にはインパクトがあるのです。 源氏物語は、摂関家時代に書かれた作品です。 摂関家全盛時代と言う事は、貴族のほとんどが藤原なわけで、だからこそフィクションの中であれ、源氏の方がより目立つようになっているのです。
◆頼朝や実朝が源氏物語に傾倒した痕跡はあまりない そしてこの時代に最も目立つ源氏出身者は誰かと言うと、道長の正妻、源倫子なのです。『光る君へ』では黒木華さんが演じていらっしゃいます。 倫子は、『栄花物語』にも「藤原全盛時代にただ一人繁栄した源氏」だと書かれています。 ということは、その娘である彰子中宮もいわば藤原氏と源氏の血を引いており、腐るほどいる藤原氏よりも主人公が源氏である方が心に引っかかったと考えられます。 このことが『源氏物語』の歴史的展開とつながっていく。 『源氏物語』は、鎌倉時代、藤原定家によって写本が整理され、その価値が定められました。しかしながら鎌倉幕府の将軍家である、源頼朝や実朝はあまり源氏物語に傾倒した痕跡は見られません。
◆次第に武士の間で親しまれるように 実は清和源氏で自らを光源氏に擬したのは室町幕府第3代将軍の足利義満が最初なのです。 足利義満は、金閣寺を造られたことで知られていますが、分裂していた天皇家を合一させ、強大な権力を握った将軍です。 そして彼はそれまで、藤原道長と関係が深い村上源氏が代々就任してきた源氏長者、つまり源氏のリーダーに就任しました。 その結果、将軍に近い源氏出身の守護大名(室町幕府を支える有力大名)、例えば今川家や武田家なども『源氏物語』に興味を持つようになっていきます。 また『源氏物語』に取材をした能「葵上」「野宮」などが作られることによって、『源氏物語』は2.5次元的に見て楽しむ作品になり、武士の間にも親しまれるようになっていくわけです。
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