軽井沢の観光地で「タクシー不足」を解消した“3本の矢”プロジェクト
「夏休み期間は、われわれタクシー事業者だけではなく、例年は運輸支局、商工会、ホテル旅館組合、観光協会など、まさに連携協定を結んだそれぞれに『タクシーがいない』という苦情がくるが、今年はどこからも苦情がない」とプロジェクトの成果を実感しているという。 ■渋滞対策など課題も見えた 各方面から好評価を得た「3本の矢」プロジェクトであるが、軽井沢町では今後の課題について大きく3点を挙げている。 1つ目は、需要速度の精度を上げること。夏期データがなく、ゴールデンウィークのデータから予測したが、需要は想定以上だったという。
2つ目は、必要台数の目標未達。ライドシェアドライバーの稼働遅れやシフトのズレなどが要因で、必要とされるライドシェア台数が確保できない日があった。 3つ目は、渋滞による営業効率の低下。特にお盆では、主要道路である国道18号線などの慢性的な渋滞によって、営業効率が低下した。16時台の平均実車時間は、7月3連休の「7分」に対し、お盆は「23分」と3倍以上になったという。 軽井沢町は、これを「タクシーの供給不足」として捉えるだけではなく、今後は渋滞対策の観点からも検討したいとする。
ここで、軽井沢町の全体像について触れておきたい。 地理的には、東西に12.5km、南北に14kmで、軽井沢町役場の海抜は938m。町内の最高標高は浅間山の2568mで、最低地点は湯川下流の798.7mという高地である。 江戸時代には、善光寺参りや、参勤交代の大名が碓氷峠を超える際の休憩所や宿場として利用されてきた土地だ。 別荘地となったのは、1886年(明治19年)にカナダ生まれの英国聖公会宣教師であるアレキサンダー・クロフト・ショー氏が、避暑地として最適であると内外著名人に伝えたことが始まりとされている。
その後、アイススケート、ゴルフ、サイクリング、テニスなどスポーツ分野での大会が開催され、高級リゾート地として軽井沢の名が知られるように。 1970年代半ばから1980年代にかけては、全国的なテニスブームもあり、旧軽井沢などが若者の観光地として注目を浴びるようになった。 ■観光客の約7割が首都圏から 2024年11月1日現在の人口は2万1795人、世帯数は1万1105世帯。交通流としてみると、「町民」以外の別荘所有者等を含む「住民」と、年間800万人を超える観光客が混在することになる。観光客の約3割が東京から、また約7割が東京を含む首都圏から来ている。