「見に来てくれた君たちに命をあげるよ!」西城秀樹は一体何が凄かったのか<フィルムコンサート参戦記>
我が推しながら怖くなる体力
さて、休憩を挟み、2本目のフィルムは1年さかのぼり、1978年8月26日に開催された「BIG GAME'78 HIDEKI」大阪球場公演だ。そして私は、「元気があれば何でもできる」というアントニオ猪木氏の名言を、ヒデキによって「ホンマや……」と確信することに! 登場からパワー全開、「フール・フォー・ザ・シティ」「朝日のあたる家」といった洋楽リスト、ザ・コンテナダンサーズとの移動ディスコも超全力。 そして特筆すべきは、興奮と恐怖のゴンドラタイム。クレーンが、ヒデキを乗せたゴンドラを高々と漆黒の空へ吊り上げていく――。 ゴンドラといっても要はちっちゃいちっちゃいカゴである。想像してほしい。ユラユラ空で揺れる小さいカゴの中で、『ジャガー』から『傷だらけのローラ』というヒット曲を歌い、ハイになったヒデキを(震)。身を乗り出し手を振る(カゴ傾く)。ゴンドラの縁に片脚を上げて歌う(カゴ傾く)。上半身を縁から出しブラーンと倒す(カゴむっちゃ傾く)! 同乗しているスタッフも怖いだろうに、必死で手を伸ばし、ヒデキのベルトを引っ掴む姿が健気で泣けた。 地上に降りてからも、球場を全速力で走り歌い、勢い余り応援席のフェンスをドドドドッとよじ上っていったときは、我が推しながら恐ろしさすら感じた。 しかも、どんな場所でも、どれだけ酸欠ヘトヘトの状態でも、歌声にブレなし・パーフェクトというミラクル。腹式呼吸どうなってるのヒデキーッ! 今、私が見ているのは、音楽の神が降臨している瞬間なのかもしれない!
ラストの予定だった78年の「BIG GAME」大阪球場公演
「見に来てくれた君たちに命をあげるよ!」と言わんばかりに、1曲入魂。 「両手を上げ、隣の人と手をつないでください。一緒に歌おう」 「セイリング」の合唱で、両手を上げる。心でファンの人たちとハンドインハンド。 ああ、私は過去と未来が一緒になる瞬間にいる。 1ミリでも近くファンのもとに駆け寄ろうとする姿に覚悟を感じた1978年の「BIG GAME」大阪球場公演。 それもそのはず、実はこの年から後楽園球場が使用可能になり、かわりに、1974年から5年間開催された大阪球場コンサートは、この年で終了する予定だったのだ。そのため、副題も「バイ・バイ・パーティ大阪球場」という悲しすぎるものだった……。 MCでヒデキは、「来年もやりたい」と言い、なんとしゃがみ込み、膝を抱え子どものように泣き出したのである。 「こんなにみんなが応援してくれ……うわーん!」 やだ泣かないで~(泣)。大丈夫よヒデキ、ファンの熱意で、その後も大阪球場でのコンサートが続くから! 届かん声と分かりつつ、画面に向かい大丈夫ダイジョウブ、ドントクラーイなどと叫びながらサイリウムをオロオロと振るしかなかった。 本当にこの人は、歌が、ファンが好きなのだ――。