「親密」な握手、ゴルフ、食事、会談……日米同盟の文化的な構図
「ユーラシアの帯」の二つの世界
ここで注目したいのは、両国の宗教様式と深層文化の世界史的な構図である。 高度に発達した神殿・聖堂・寺院・宮殿などの様式は、少なくとも16世紀までは、地球上きわめて偏った地域に集中分布していた。 西はイギリスから、東は日本に至る、細長い帯状の地域であり、筆者は研究上これを「ユーラシアの帯」と呼んでいる。この帯から離れた地域の様式と文化は未発達なものか、きわめて孤独なものかで、16世紀以後の西欧文化の浸透によってほぼ消滅してしまった。 このことは、高度な宗教・思想・文字の発達がこの帯に限られていたことを示している。 この帯の西と東を、西洋と東洋と分ける習慣があるが、これはヨーロッパを西洋とする曖昧な表現である。建築様式の点から大きく分ければ、北ヨーロッパから地中海周辺(中近東を含む)を経て、インド、東南アジアに達する「大きな世界」と、日本、中国、韓国の「小さな世界」に分けられる、というのが筆者の見解である。 ギリシャ正教の聖堂はイスラム教のモスクに近く、インドにはイスラム様式とヒンズー様式が混在し、東南アジアの仏教様式はヒンズー様式に近い。つまりヨーロッパから東南アジアまでは、宗教様式が連続的なのだ。しかし日中韓の宗教様式は、ヒマラヤ山脈とその北部の砂漠によって隔てられて、特異なものとなっている。 大きな世界の宗教様式は石造もしくは煉瓦造で、アルファベットを基本とする文字を使い、小さな世界の宗教建築は木造で、漢字を基本とする文字を使う(とはいえ近年、韓国はもっぱらハングルを使用し、漢字を使わなくなった)。 ある文化における建築様式とそこで使用される文字には深い関係があるが、専門的になるので、詳しくは筆者の著書を参照していただきたい。
「大きな世界」の拡大
16世紀以後、ヨーロッパ沿岸国の大航海によって、古代地中海周辺を淵源とする西欧の文化が、ユーラシアの外部に拡大した。とりわけ西に向かう力は強く、大西洋をわたって新大陸に伝わり、さらに西へと向かった。西部劇の時代だ。そして地球全体が「ユーラシアの帯」の「大きな世界」の文化に染まっていく。近代的な意味での「世界」という概念もこの時に生まれた。 つまりアメリカ文化は、古代地中海周辺を淵源とする「大きな世界」の系統を引く、海を隔てた文化であり、その西に向かう力の最先端に位置する。日本は、中国中原を淵源とする「小さな世界」の系統を引く、海を隔てた文化であり、その東に向かう力の先端に位置する。つまり日米両国の文化は、拡大された「ユーラシアの帯」の両端であり、その意味では対照的であるが、その本家から「海を隔てた別荘」のような先端にあるという点では共通するのだ。