三つの大津波を生き抜いて…102歳の歌人が「一番伝えたいこと」 ふるさとは失われても
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】昭和三陸津波、チリ地震津波、東日本大震災…三つの大津波を経験した歌人
50歳のときに詠み始めた短歌
岩手県山田町の船越半島。山の中腹にある老人施設で、102歳(取材当時)の歌人・中村ときさんは、眼下に広がる港を眺めていた。 「良い天気ね。海がきれいに見える」 二つの眼に映るのは、真っ青な初夏の空と、すべてを奪い取った海だ。 大槌町で生まれ、網元の夫と結婚して山田町に移り住んだ。 1933年の昭和三陸津波と1960年のチリ地震津波、そして、2011年の東日本大震災。三つの大津波を生き抜いてきた。 「津波のお話をさせたらね、私は誰にも負けないと思いますよ」 車いすを押す介護職員の方を向き、いたずらっぽく語りかける。 「この目で3度も津波を見た人なんて、そうはいないでしょう?」 歌を詠み始めたのは50歳のときだ。 傾倒していた歌人の佐藤佐太郎が設立した短歌結社「歩道」に入った。 少女時代から与謝野晶子や石川啄木に憧れ、短歌が大好きだったが、漁業を営む実家は忙しく、それまで時間を持てなかった。 1984年、最初の歌集「海の音」で岩手県芸術選奨を受賞。当初は暮らしや自然を詠んだ歌が多かった。 それが震災後、自らの被災経験をつづったものへと変化していく。 〈巨大津波火事と地震に怯(おび)えつつ寒き一夜の明くるをただ待つ〉 〈逃げよ逃げよと只管(ひたすら)に登りたり津波来しとふ声に押されて〉 震災で自宅を失い、姉とおいを亡くした。 悲しみに暮れるなか、涙あふれる朝や眠れない夜に、抑えきれない感情をチラシなどに書き、ノートにまとめた。 そして2019年2月、震災をテーマに活動する福島県浪江町出身の歌人、三原由起子の誘いを受けて、3冊目となる歌集「大震災・前後」(いりの舎)を刊行した。 〈三度なる津波に遭ひて生きしわれ開かれし地に老の日積まん〉 「3度の津波を覚えていますか?」と尋ねると、中村さんは「大丈夫、はっきりと覚えているわ」と言った。