細野晴臣の曲を、世界でいちばん歌っている自負があった─矢野顕子が思いを語る
矢野顕子が、細野晴臣との出会いエピソードを語り、リスナーと聴きたい細野晴臣楽曲をセレクトした。 この内容をお届けしたのは、J-WAVEの番組『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ、ノイハウス萌菜)内の期間限定コーナー「Pen TALK ABOUT HARUOMI HOSONO」。ここでは12月4日(水)のオンエア内容をテキストで紹介する。
はっぴいえんどが生み出す音楽に憧れを持った学生時代
11月28日、デビュー55周年の細野晴臣を特集した雑誌『Pen』(CCCメディアハウス)の2025年1月号が発売された。1969年のデビューを皮切りに、はっぴいえんど、YMOなどを経て、音楽の地平を切り拓いてきた細野。本誌は「細野晴臣と仲間たち」をテーマに、ミュージシャンやクリエイターとの共作、共演、プロデュースといったコラボレーションに着目した1冊となっている。 番組では、『Pen』とのスペシャルコラボ企画を期間限定で実施。細野を愛してやまないアーティストが、彼の人物像や音楽の魅力について語る。今回は、シンガーソングライターの矢野顕子が出演。 矢野は1976年にアルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビュー以降、YMOをはじめさまざまなアーティストと共演するなど、活動は多岐にわたる。本格デビュー前に細野の音楽ユニット、キャラメル・ママのセッションに参加し、YMOでは楽曲を共同で制作。サポートメンバーとして国内外ツアーに帯同してきた。まずは矢野に、細野との出会いについて聞いた。 矢野:細野さんの音楽を初めて聴いたのは、たぶん私がまだ高校生の頃だったと思います。おそらく、はっぴいえんどの曲を聴いたのが最初です。そこから高校の先輩である林 立夫さんや後藤次利さんが、はっぴいえんどがいた集団のなかに寄っていくのを見て「私もそのなかに入れたらいいな」と思っていたんです。だけど、同時にクラブで演奏することも忙しい時期でもあったんですね。それがだいたい16、17歳ぐらいだったと思います。 デビュー作『JAPANESE GIRL』のレコーディングにあたり、デモテープの制作過程で細野と面識を持ったと矢野は振り返る。 矢野:スタジオで初めて会って、すぐに演奏したのが最初です。そのなかで使われた曲は、のちに『JAPANESE GIRL』の『大いなる椎の木』とか、2枚目のアルバム『いろはにこんぺいとう』でもさらに何曲か使ったりしました。