大阪のサル年を振り返る「サル理由」で騒がしい1年に?
1980年(昭和55)「天王寺七坂」口縄坂にオダサク文学碑建立
1月11日、当時の岸昌(さかえ)府知事の机上と、大島靖大阪市長の机上を専用直通電話で結ぶ府市協調の「ホットライン」が開設された。府と市は当時からライバル意識が強い半面、事業遂行には連携が欠かせない。府市民に協調ぶりを演出する狙いも多分にあった。 4月20日、市民レガッタが10年ぶりに大川で開かれ、史上最多のクルーが参加し、熱戦を繰り広げた。5月31日、国賓として来日していた中国の華国鋒首相が来阪し、府、市、商工会議所共催の晩餐会に出席。岸知事らと歓談した。このころ、自治体外交と呼ばれる地方が主体の国際交流活動が、盛んに展開された。 6月22日、憲政史上初の衆参同日選挙となり、開票の結果、自民党が安定多数議席を獲得して、引き続き単独政権を維持することになった。衆院選投票率は22年ぶりの高率74.57%となったが、大阪は67.40%と、全国平均より7ポイントあまり低かった。 7月、大阪ゆかりの文学者顕彰事業の一環として、天王寺区の口縄坂に「オダサク」と愛称で知られる織田作之助の文学碑が建立された。オダサクは天王寺区で生まれ育ち、口縄坂を含む「天王寺七坂」を上り下りしながら青春を過ごした。 代表作は「夫婦善哉」。文学碑には「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていく」と始まる「木の都」の一節が刻まれている。周囲には今もオダサクが散策したころの濃密な静けさが漂う。 12月5日、国勢調査(10月1日現在)の速報結果がまとまり、府の人口は847万3412人だった。10日、大阪の衛星都市をつなぐ大阪環状モノレール鉄道の建設、運営にあたる第3セクターの「大阪高速鉄道株式会社」が発足した。 27日、地下鉄谷町線天王寺・八尾南間が10.5キロが開通。既設の守口・天王寺間と合わせて、総延長は26.3キロとなり、御堂筋線の19.5キロをしのいでもっとも長い路線となった。
1968年(昭和43)地下鉄谷町線谷町4丁目・天王寺間が開通
2年後に迫った大阪万博開催に向けて、大阪の都市構造そのものを変えていく様々な試みが加速していく。第2回万博デーの3月15日、吹田市千里丘陵の万博会場で石坂泰三会長らが出席して、立柱祭を行った。 4月30日、環境汚染が進む中、万博開催都市にふさわしい水都・大阪のイメージを取り戻すため、河川の浄化実験が道頓堀川と寝屋川で実施された。 7月29日、地下鉄中央線森ノ宮・深江橋間(2.3キロ)、12月17日、同谷町線谷町4丁目・天王寺間(3.8キロ)が開通した。いずれも工事が完了した区間から活用していく細切れの開通だが、万博開催時、都心と会場を結ぶ交通ネットワーク形成の一翼を担っていた。 一方、谷町線が延伸した12月17日、大阪市交通局は、トロリーバスの全廃を発表している。トロリーバスは53年から運行。大阪独特の都市景観を演出していたが、交通渋滞に阻まれ、定時運行が危うくなっていた。そのため、万博開催中の70年6月、全廃を余儀なくされた。 その他のニュースでは、5月17日、大阪の銭湯で入浴料金が32円に値上げされた。10月19日、名将と評価された鶴岡一人南海ホークス監督が辞任。翌20日、日本シリーズで巨人が阪急を破り、4連覇。21日、第16回菊池寛賞が、松竹新喜劇の渋谷天外(初代)氏らに決まった。