大阪のサル年を振り返る「サル理由」で騒がしい1年に?
1992年(平成4)「花の万博」から「花の流通市場」へ
1月26日、大阪国際女子マラソンで小鴨由水(こかも・ゆみ)選手(ダイハツ)が2時間26分26秒の当時の日本最高、初マラソン世界最高記録で優勝。同マラソン大会初の日本人優勝者にもなった。29日大阪府庁で知事賞詞が贈呈された。 小鴨選手は弱冠20歳の無名の新人ながら、抜群の成績が評価され、同年開催のバルセロナ五輪に選抜された。しかし、故障が災いし、力を発揮できないまま惨敗。以降もデビュー戦のタイムを超えることができなかった。 2月26日、大阪府、大阪市などが出資する第3セクター「大阪鶴見フラワーセンター」(大阪鶴見花き地方卸売市場)の着工式が大阪市鶴見区内で行われた。90年に開催された「花の万博」の理念を継承し、大阪の既存の花き市場を整備統合。多彩な花を安定して供給できる総合花き卸売市場に生まれ変わることを目指した。 93年施設全体の愛称が「鶴見はなぽ~とブロッサム」と決定、94年7月、予定通りオープンした。建物の下部が花を扱う流通施設、上部が商業施設「三井アウトレットパーク大阪鶴見」の2部構成。開業から20年あまりを経て、同市場は取扱量全国2位の花き卸売市場に成長している。 3月の大相撲大阪場所は、大関小錦が13勝2敗で3回目の優勝を飾った。この年は横綱旭富士、北勝海が相次いで引退したほか、平幕の貴花田、水戸泉が優勝するなど、下剋上の激動期だった。 9月18日. 関西国際空港の開業を見据えて、大阪府企業局などが空港対岸の沿岸部に造成したりんくうタウンで、「りんくうゲートタワービル」北棟の建設工事が始まった。完成すれば西日本一の超高層ビルになるため、関西経済のけん引役を期待された。 80年代後半から90年代はじめのバブル経済期、りんくうタウンへの進出希望企業が殺到し、「平成の宝島」と呼ばれるほどだった。分譲エリアが限定しているため、主だった企業がグループを結成。超高層ビルを建設して、ホテルや百貨店などを誘致するビジネスプランを競い合ったが、バブル崩壊とともに、りんくうタウン・プロジェクトの熱気は急速に冷え込んでいった。