大阪のサル年を振り返る「サル理由」で騒がしい1年に?
2016年(平成28)の干支(エト)はサル(申)。12年前から60年前まで、サル年だけを振り返ると、何が見えてくるだろうか。眠りからさめるように文学碑が建立され、顕彰され始めた大阪ゆかりの作家とは。1960年代後半、地下鉄の細切れ開通を急いだ理由とは。戦災から立ち直る大阪人が復活を待ちわびたシンボルとは。サル年に繰り広げられた大阪ストーリーをひもといてみよう。
2004年(平成16)近鉄球団が消滅し東北楽天が誕生
正月をはさんで激戦が続く花園高校ラグビー大会。今大会はラグビーW杯での日本代表大健闘を受けての大会だけに、例年にも増して熱い。今から12年前の優勝校は大阪第3代表の啓光学園(現常翔啓光学園)だった。 前年度まで2連覇の優勝候補として臨んだ啓光は危なげなく勝ち進み、準決勝で大阪の宿敵東海大仰星を、19対13で撃破。1月7日の決勝戦の相手は、九州勢の古豪大分舞鶴。接戦が予想されたが、啓光は鉄壁のディフェンスが機能し、15対0で完封勝ち。3年連続5回目の優勝を飾った。最近はしばらく花園から遠ざかっているので、奮起を期待したい。 ベスト8で涙を呑んだ佐賀工業には、先のW杯ジャパン躍進の原動力となった五郎丸歩選手(現ヤマハ発動機ジュビロ)がいた。五郎丸選手は早稲田大医学に進学。花園の悔しさを胸に精進を重ね、大学日本一を体験した後、日本を代表する選手に昇り詰めていく。 目をラグビー場から野球場に転じると、開幕後しばらくして、思わぬ異変が起きた。6月、近畿日本鉄道が大阪近鉄バファローズと、ともにパ・リーグに所属し、関西を拠点とするライバルであるオリックス・ブルーウエーブとの合併計画を発表した。 国民的関心を集めて球界再編問題に発展したが、9月には合併が認められ、近鉄球団を吸収したオリックスは、球団名をオリックス・バファローズに変更して来季に備えた。さらに11月に入ると、パ・リーグの新規参入球団として、東北楽天ゴールデンイーグルスが承認され、12球団体制が堅持されるかたちとなった。 いてまえ打線の近鉄バファローズが戦ったのが、森ノ宮の日生球場。本町などのビジネス街から近かったため、ビジネスパーソンが仕事帰りに観戦を楽しんだ。 その日生球場跡地に15年4月、新しいショッピングセンター「もりのみやキューズモールBASE」が開業。国内の商業施設では初めて屋上に1周300メートルのエアトラックが設置され、市民ランナーに開放されている。「BASE」のネーミングには、ベースを囲んで歓声が響き渡った野球場へのリスペクトが込められている。