今なお続く「入店拒否」報告 知られざる盲導犬60年の歴史
日本で初めて入店を認めたレストラン
日本で最初に盲導犬の入店を受け入れたレストランは、現在も東京・東銀座の昭和通り沿いにあるインドレストラン『ナイル・レストラン』です。塩屋賢一は、チャンピイを送り出した2年後の1959年に持病の結核が悪化して入院したのですが、その際に度々病院を抜け出しては贔屓(ひいき)にしていたのが、近くにあった『ナイル・レストラン』でした。やがて賢一から入店拒否問題に頭を抱えていると聞いた初代店主のA.Mナイルさんが、「ならばうちでおいしいカレーを食べてもらいましょう」と、盲導犬同伴での入店を受け入れたのは、まだ国内では前例がない1961年のことでした。国からレストランや喫茶店、旅館に対して入店拒否をしないよう、対応協力の指導がなされたのは、実にその20年後のことです。
これをきっかけに、アイメイト協会では、4週間かけて行う歩行指導の締めくくりに、銀座の繁華街を歩く「卒業試験」を行っています。卒業試験を無事クリアし、晴れて「アイメイト使用者」「アイメイト」となったペアは、ゴールの銀座4丁目交差点から、その足で必ず最初に『ナイル・レストラン』に行き、名物のチキンカレーをいただきます。今も昔と変わらず守られている伝統です。 入店拒否の問題が報じられるたびに、今はインターネット上にさまざまな意見が飛び交います。その中には、使用者の側に「入店できて当然、優遇されて当然だという傲慢な気持ちがあるのではないか」といった意見も見られます。そういった方には、ぜひ、盲導犬の社会への受け入れに尽力した初期の使用者の苦労を想像していただきたいと思います。そして、アイメイト使用者となった全員が真っ先に「日本で初めて入店を受け入れてくれた店で食事をする」ことの意味を考えていただきたいのです。そこには、社会参加の扉を開いてくれたお店への感謝の気持ち、そして、自身がこれからアイメイトと共に社会参加することへの喜びが込められているのです。 ※記事中に現在では不適切な表現が含まれていますが、記事の趣旨を鑑み、そのまま掲載しています。
------------------------------------- ■内村コースケ(うちむら・こうすけ) 1970年生まれ。子供時代をビルマ(現ミャンマー)、カナダ、イギリスで過ごし、早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞(東京新聞)で記者とカメラマンをそれぞれ経験。フリーに転身後、愛犬と共に東京から八ヶ岳山麓に移住。「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、「犬」「田舎暮らし」「帰国子女」などをテーマに活動中