今なお続く「入店拒否」報告 知られざる盲導犬60年の歴史
河相さんは、1957(昭和32)年当時、大学を卒業して盲学校の教師になっていました。赴任先の滋賀県彦根市の町を颯爽(さっそう)と歩き、チャンピイと共に教壇に立つ様子が、当時の写真に残っています。視覚障害者が教師として子どもたちの手本になり、しかも、人の助けを借りずに犬と共に毎日学校に通う様子は、戦後の新しい社会を象徴する出来事の一つとして、新聞・テレビ・雑誌で大きく取り上げられました。 それらの報道だけを見れば、当時から社会は河相さんたちを温かく受け入れていたように見えます。しかし、一昨年に河相さんご自身と話す機会があった際に、意外なことを聞かされました。 河相さんは、チャンピイと10年間歩いています。その間に彦根から静岡県浜松市の盲学校へ転勤・転居していますが、浜松ではチャンピイと登校することはできなかったというのです。 「彦根では歩いて学校に通えたのですが、浜松ではバス通勤になりました。(そして、)バスは犬を乗せてくれなかったのです。当時は全国的に、ごく一部のタクシーを除けば、電車にもバスにも(盲導犬は)乗れなかった。昭和40年代の初めでしたが、2代目の『ローザ』(チャンピイの子)と共に上京した際に、初めて新幹線への試験的な乗車が許されました」 その後、口輪の装着、事前申請などの条件付きの乗車を経て、1977年に国鉄(現JR)の自由乗車が実現しました。河相さんが再びパートナーと登校できるようになるまでには、さらにバスの自由乗車が実現した翌年まで待たなければなりませんでした。しかし、その時には既にローザは高齢になっていて、結局、日常的にアイメイトと登校できたのは次の代の『セリッサ』になってからでした。
バス会社、運転手一人ひとりに直談判
アイメイト協会では、1971年に「盲導犬」という呼称を「アイメイト」に改めています。「盲人を導く犬」というニュアンスが、「犬が視覚障害者を引っ張って歩く」という誤解を与えがちだからです。ちなみに、実際のアイメイト歩行は、「使用者が犬に進行方向や発進の指示を出す一方で、犬は自主的な危険回避行動を取りながら歩く」という共同作業です。「アイ」は「目」「私」「愛」を表し、「メイト」は英語の「仲間」です。つまり、「アイメイト」は対等なパートナーを表します。そして、今日、公共交通機関や公共施設への盲導犬の同伴が可能になった背景には、ちょうど「盲導犬」が「アイメイト」になり、犬種もジャーマン・シェパードからラブラドール・レトリーバーに切り替わったこの時代の、初期のアイメイト使用者の努力の積み重ねがありました。