アル中男と離婚して、御曹司と電撃的な恋に落ち、イギリス初の女性議員にまで上り詰めた女傑の生涯
イギリス史上初の女性議員
彼が地盤を築き上げたプリマスの選挙区は、妻ナンシーが受け継ぐこととなった。1919年の選挙で彼女は当選し、ここにイギリス史上初めての女性議員が誕生した。元々彼女は女性参政権などには関心がなく、その後、次々と当選してきた女性議員らとの関係もぎくしゃくしたものだった。しかし、やがて彼女自身も「女性の権利」を主張することに目覚め、議会内における女性運動の指導者の1人となっていく。 さらに夫妻は、1930年代に入るとそろってヨーロッパを歴訪した。その旅程でアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンとも会見している。夫妻はナチスの独裁体制には心底批判的だったが、大戦後に敗戦国ドイツに過酷なまでの賠償金や領土を要求したイギリスの政策には後ろめたさを感じていた。 2人の屋敷は、イギリスの主要な政治家やチャールズ・チャップリン、マハトマ・ガンディーなどの世界的著名人も集う社交場となっていたが、やがて対ドイツ宥和政策を進めるネヴィル・チェンバレン首相やハリファクス外相が、駐英ドイツ大使ヨアヒム・フォン・リッベントロップらと極秘の会合を持つ場にもなっていく。カズオ・イシグロの名作『日の名残り』(ハヤカワepi文庫)で描かれた「ダーリントン伯爵」のモデルのひとつが、まさにアスター子爵夫妻だったのである。 しかし、そのドイツと第2次世界大戦(1939~45年)に突入し、プリマスは空爆の被害に遭った。事実上、政界を引退していたアスター子爵は、プリマス再建のために尽力していく。そして1945年に体調を崩した子爵は、妻ナンシーに政界からの引退を要請し、彼女は泣く泣くそれに従う。政治に興味を持っていた彼女は、これ以後、夫が亡くなるまでこのときの「恨み」を忘れることはなかった。1952年に第2代子爵は亡くなり、長男が3代目を継承する。
公共の福祉に尽力した兄弟
他方で、ウォルドルフの弟ジョン・ジェイコブのほうは、第一次大戦に従軍して負傷し、右足を切断するに至った。しかし帰国後に父からヒーヴァー城を譲られ、庶民院議員を務める傍ら、高級紙『タイムズ』を買収した。それ以前のオーナー(ノースクリフ子爵)が自身の思想を強引に押しつける手段として新聞を利用したため、かなり品位が落ちていた同紙は、彼のおかげで再び高級紙にふさわしい格付けを得た。ジョン・ジェイコブもアスター男爵として貴族院入りする。 アメリカ出身で毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい貴族の兄弟ではあったが、晩年は莫大な財産のほとんどを寄付し、公共の福祉のために尽力した。このあたりには、父が望んだ「ジェントルマン」の教育が実によく活かされたのかもしれない。 君塚直隆 1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(2018年サントリー学芸賞受賞)、『悪党たちの大英帝国』、『ヴィクトリア女王』、『エリザベス女王』、『物語 イギリスの歴史』他多数。 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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