【特集】「どうやったら犯人を殺せるか…それが夢でした」妹を殺害された社長の壮烈半生 辿り着いたのは“犯罪者の更生支援”という生き方 何度裏切られても「俺は絶対離さへん」
刑務所の中で面接してもらった日―。それは、2014年のことでした。 (草刈さん/2014年) 「『自分、こんな所強い』って、ある?」 (飯尾さん/2014年) 「みんなに優しいと言われます」 (草刈さん) 「弱い所は?」 (飯尾さん) 「我慢が足りないですね」
(草刈さん) 「まぁ、見てる感じでは…仕事が務まるのかなって(笑)『できます!』ぐらい言うてよ」 (飯尾さん) 「大丈夫です」 (草刈さん) 「大丈夫?」 (飯尾さん) 「やれます」 (草刈さん) 「やれる?」 (飯尾さん) 「はい」
精神的な弱さもありましたが、受け入れてもらえた飯尾さん。あの日の面接が、人生を変えるきっかけになりました。
妹を殺害された兄は、「犯人を殺すこと」を夢にまで見た…でも選んだのは、犯罪者を“支援”する道 その裏にある、切なる想い―
草刈さんは、活動を始めるまで、犯罪者を憎んでいたといいます。 (草刈さん) 「私は、犯罪被害者家族の一人でもあるんです。2005年12月に、アメリカで妹を殺されました。自分自身、その相手をどうやったら殺せるんやろうばかり考えていました。自分の夢でしたから」
草刈さんが見せてくれたのは、妹・福子さんと撮った写真です。 Q.いつの時ですか? (草刈さん) 「20代前半ぐらい。俺、まぁまぁ良い体型してるな(笑)」
草刈さんの妹・福子さん(当時25)は、米・ロサンゼルスで映画の脚本家を目指していましたが、アメリカ人の夫に殺されました。 Q.その日のことは、今でも覚えていますか? (草刈さん) 「大変や、もう家帰ってきたら。飛行機乗るのも、ずっと泣きじゃくって…とりあえず、アメリカの妹の部屋まで見に行ったら、血みどろでした」 殺害した理由について、アメリカ人の夫は当時「精神障害があった」などと主張しましたが、その後、裁判で有罪となりました。
(草刈さん/2005年、福子さんの葬式で) 「どのような理由があっても、人を殺めるということは、許されるものではありません。遺されている者は、どうなるんでしょうか…」 妹のような被害者を生みたくない―。その思いが、再犯を防ぐための加害者支援に向かわせました。
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