「動けない大国」アメリカの行方 第2回:これまでの米外交から見たオバマ外交 /上智大学・前嶋和弘教授
アメリカは第二次大戦直後から積極的に国際社会の中心としての役割を果たすことで覇権国としての地位を築いてきた。しかし、オバマ政権の現実的な外交でいま、アメリカは次第に「動けない大国」になりつつあるようにみえる。第二次大戦以降のアメリカ政治をふりかえると、「動けない大国」となった理由が明らかになる。 連載(1)“弱腰”オバマ外交 アメリカの覇権は終わったのか
(1)国際秩序の構築と「冷戦コンセンサス」
第二次大戦中から、アメリカは明確に覇権国の地位を意識し、国際連合の形成やドルを基軸通貨とすることを念頭に置いた「ブレトンウッズ体制」などを作り上げていった。大戦後は映画や音楽といったアメリカの文化が世界を席巻する中、広報施設の「アメリカンセンター」を世界各国に配置し、積極的な文化外交を世界的に展開していった。それが外交上のソフトパワーの基盤となっていく。 “世界のリーダー”としての意識はアメリカ国内世論にも浸透し、国際社会のためにアメリカが積極的に関与していくことを期待するようになった。その国民世論を反映したのが連邦議会の動きである。東西冷戦の中、大統領の外交政策に対して、連邦議会はできるだけ対立を避けようとする傾向(「冷戦コンセンサス」)が顕著となった。一方で、大統領の国内政治について、議会は強く反発する状況が続くという、興味深いパターンを示すようになった。 時間がたつにつれ、外交政策をめぐる大統領と議会とのめぐる駆け引きも変貌していった。特に、1960年代後半に泥沼化するベトナム戦争の惨状はアメリカ国民の意識にも大きな影響を与え、大統領の外交政策に対する議会の反発が目立っていく。外交における「大統領のフリーハンド」は消えていく。議会内でと大統領は外交政策についても激しい対立する時代になった。 この延長線上にオバマ外交がある――。
(2)オバマ政権の「2つの不幸」
ではなぜオバマ外交で特にアメリカは「動けなくなった」のか。その原因としてよくあげられる議論は2つある。 1つ目は、オバマ政権の歴史的なタイミングである。冷戦後はそれまでの二極対立構造から、アメリカを中心とする単極構造に転換したが、ナインイレブン(2001年)以降の長期にわたる対テロ戦争は、単極構造が決して安定的でないことを露呈させた。アメリカ国民は疲弊し、厭戦気分が非常に強くなる中、米軍のイラク撤退を掲げて、さっそうと登場したのがオバマ大統領である。 2009年の政権発足時において、さらなる他国への介入は好まざるものであったため、オバマ政権はアフガニスタンとイラクからの撤退を最優先に外交を進めた。それ自身は、世論に合わせたプラグマテックな対応であったといえる。