江戸時代に著作権はなかった? パクリ横行のかわら版、作り手の悩みとは?
説明するまでもなく、これは先ほどの「万国山海通覧分図」の海賊版である。当時、このように好セールスを上げたかわら版は、どんどんコピーされ、堂々と海賊版が売られた。 この「万国山海通覧分図(海賊版)」に書かれた情報は、ほとんど本家と同じだが、アメリカ兵やロシア兵の説明文が、途中から文字ですらなくなっている辺り、作者の性格が現れているようで微笑ましい。警備担当の大名などの名も、全て書き写すことは諦めてしまったようだ。地図も、本家のように陽刻(文字、絵などを浮き上がらせて彫る手法)とするのが面倒だったのか、手軽な陰刻(文字、絵などをへこませて彫る手法)に変更している。 こう見ると、本家の「万国山海通覧分図」はオリジナリティある刷物に見えてくるが、そう評価するのは尚早である。こちらも、多くの情報、例えばアメリカやロシアに関する説明や、洋船の絵に関しては、ほかの刷物を模倣しているのである。その際に、許可など取ってはいないことは、言うまでもない。
コピーすることの困難さ
かわら版は、非合法出版ゆえに政治的な脆弱さを抱えていたが、その反面、幕政批判や心中といったテーマを避ければ、基本的にやりたい放題だった。当時、ほんの僅かだけ存在した「著作者の権利」も、かわら版には全く通用しない。コピーしても怒られないし、コピーされても怒れない。 こういった状況で「売れるかわら版」は、先ほどのように丸々でなくても、部分的にコピーされることなど日常茶飯事だった。 ここに掲載した二種のかわら版は、当時「鉄板ネタ」だった、敵討に関するものである。記事を読んでみると、この二枚は全く違う事件を報道したものとわかるが、絵が余りにも似ている。どちらも、男性が3人描かれ、それぞれの服装も、ポーズも、表情もほぼ同じに見える。 これも言うまでもないが、どちらかが絵の部分を真似たのである。絵のクオリティから見て、右の方がオリジナル、左の方がコピーだろう。このような躍動的な人物の絵は、誰もがすぐに描けるものではない。当時であれば、名のある絵師に弟子入りして、長い間修行しなければ、到底描けないものである。 左の方のかわら版をよくよく見ると、人物のバランスが崩れていたり、関節の曲がり方が不自然であったりするのがわかるはずである。描線の強弱の付け方も、相当に劣っている。懸命に写しても、本家とは相当にクオリティの開きが見られるのである。それは、ただ絵師の実力の差だけからもたらされたものではない。 当時のかわら版は「法的には」コピーし放題だったが、コピーするにしても、新たな木版を用意しなくてはならない。ところが、この木彫の原版を作成することは、巧みな絵を描くこと以上に困難だった。その証拠に、江戸時代後期における木版の彫師の収入は、絵師よりも文筆家よりも多かった。彫師の方が、ずっとなるのは難しかったのである。 だから、いくら法的な保護がないにしても、他人のものと同じようなかわら版を作るのは、容易なことではなかった。強引に作れば、「万国山海通覧分図(海賊版)」のような絶望的な仕上がりになること必至である。 このように考えると、著作権という考え方は、「容易にコピーが可能である」という技術的な状況が整備されて初めて、議論される意義のあるものとも言えるだろう。人力で彫り上げられた木版が刷物の原版だった時代に、著作物を独占的に使用する意識が生まれなかったのは、ある意味当然だったのかも知れない。 (大阪学院大学 経済学部 准教授 森田健司)