江戸時代に著作権はなかった? パクリ横行のかわら版、作り手の悩みとは?
コピーされた「万国山海通覧分図」
かわら版の海賊版問題に関しては、すでに本連載第4回でも少しだけ論じた。その際は、「御貿易場」という「安政五ヶ国条約」に関するかわら版を取り上げたが、今回冒頭に掲載した「万国山海通覧分図」も、開国について記されたものである。そして、このかわら版も「御貿易場」同様、丸ごとコピーされ、頒布されることになるのである。 海賊版の前に、このオリジナルの「万国山海通覧分図」を眺めておきたい。 まず、タイトルの下に書かれているのは、肥前長崎から、世界の主要国・主要都市までの距離である。右上と左上に軍人らしき人物が描かれているが、説明によると、前者がアメリカ人、後者がロシア人。下半分には、日本を中心に据えた地図も描かれ、右の方に北米、左の方にロシアがある。右の下3分の2ほどの部分に記されている「海岸御出張」は、長崎沿岸の警備を担当した大名や、長崎奉行の名である。 このかわら版の発行時期は、ペリー艦隊とプチャーチン艦隊、それぞれ初回来航時のことのみが書かれていることから、1853(嘉永6)年に間違いない。 デザイン性も高く、情報量も多い、なかなかのクオリティを誇るかわら版だが、やはり正確さについては厳しいものがある。まず左下に描かれた日本地図、これの形が実にいびつだ。そして、形だけでなく、江戸、京都、大坂の位置についてもデタラメである。江戸は山形、京都は長野、大坂は島根の辺りにある。この適当さ、まさにかわら版である。 そして、文字通り「大日本」が大きすぎる。アメリカやロシアへの対抗意識が強く表われたためか、随分と膨張した日本列島になっている。この辺り、列強が開国を迫っていた時期、日本の庶民の一部がどのような気持ちでいたのかを反映しているようで、大変興味深い。 このように、正確さには幾分問題がある「万国山海通覧分図」だが、どうも相当売れたようである。その理由は、言葉で語るより、次に掲載したかわら版を見た方がわかりやすいはずだ。