三軒茶屋が「若者の街」へとひっそり変貌した理由とは。「ネオ酒場」の聖地になり、飲食関係者が続々と視察。名古屋・栄に「リトル三茶」まで誕生!
■若者が集う、飲食トレンドの発信地になった「三茶」 筆者は飲食店関係者に読まれるWEBメディア「フードスタジアム」で編集長を務めており、新鋭の居酒屋・バル業態を中心に、「いま話題の店」ではなく、「これから話題になりそうな店」をいち早く取り上げ、業界トレンドを発信している。その中で筆者はニューオープンを中心に年間100軒以上の飲食店をリサーチに訪れている。 【画像】三角地帯だけじゃない!茶沢通りから、飲食トレンドが全国に広がるなど聖地化する「三軒茶屋」。人気店や、昭和と令和をつなぐ街の様子を見る(11枚) 飲食店、主に酒場の最新トレンドを追いかけている筆者だが、近年のトレンド震源地として挙げられる街が「三軒茶屋」だ。
東急田園都市線で渋谷から急行なら1駅。複数の商店街を擁し人々の生活の息づく下町でありつつ、高層オフィスビルのキャロットタワーや昭和女子大や日大などのキャンパスも構える。メディアに取り上げられる話題の店も多く、オシャレな街というイメージもある。住んでいる人、働いている人、通学している人、遊びに来る人とさまざまな人が入り交じる街だ。 そんな三軒茶屋の酒場事情だが、コロナ禍の前後で大きく様変わりしている。感度の高い若者が多く訪れるようになっているのだ。
要因は、以下の3つだ。 ①茶沢通りに人気店が次々と誕生した ②コロナ禍で都心を避けた人が集中、行きつけ化した ③下北沢の再開発で、若者が南下した それぞれ、順番に説明していきたい。 【画像】三角地帯だけじゃない! 茶沢通りから、飲食トレンドが全国に広がるなど聖地化する「三軒茶屋」。人気店や、昭和と令和をつなぐ街の様子を見る(11枚) ■酒場目線で振り返る近年の三茶の歴史 昔から酒場カルチャーの強い街として知られているが、かねてそれを牽引してきたのは、何といっても三角地帯だ。
おおよそ駅を基点に二股に分かれる国道246号線と世田谷通りに挟まれた三角形のエリアを指しており、戦後の闇市をルーツに発生したと言われている。 令和の現在も昭和情緒の漂う小さな居酒屋やバー、スナックなどディープな店が所狭しと並び、呑兵衛御用達のスポットである。 近年では三角地帯以外にも三軒茶屋では至るところに新しい酒場カルチャーが波及している。新鋭の酒場が次々に登場しているスポットの一つが、三軒茶屋と下北沢を南北につなぐ「茶沢通り」だ。