三軒茶屋が「若者の街」へとひっそり変貌した理由とは。「ネオ酒場」の聖地になり、飲食関係者が続々と視察。名古屋・栄に「リトル三茶」まで誕生!
理由①茶沢通りに人気店が次々と誕生した およそ2010年以前の茶沢通りは昼こそにぎわうものの、夜にはにぎわいは鎮まっていた。潮目を変えたのは、2013年にオープンした「すこぶる」だ。たちまち人気店となり夜のにぎわいが生まれた。その成功に倣えと言わんばかりに茶沢通りに次々と酒場が登場し、通り全体が盛り上がっていった。 さらに、茶沢通りに交差する太子堂商店街には2014年創業の「三茶呑場マルコ」がいる。三茶住みならその名前を聞いたことがある人も多いであろう、街を代表する人気酒場だ。「New MARCO(ニューマルコ)」「COMARU(コマル)」「食堂かど。」など、近隣で複数の系列店もドミナント展開し、ますます存在感を強めている。
理由②コロナ禍で都心を避けた人が集中、行きつけ化した 老舗だけでなく新鋭も入り交じり、年を追うごとに酒場の盛り上がりを見せていた三軒茶屋だが、コロナ禍で大きな変化が起こった。 周知のとおりコロナ禍ではリモートワークが進み、渋谷や新宿のようなビッグターミナルは一時ゴーストタウンと化した。 人々は1日の大半を自宅の近場で過ごすようになった結果、近辺に住む人々を中心に、三軒茶屋に人が流入。緊急事態宣言中の三軒茶屋の人出はすさまじく、昼は買い物などに出かける人であふれ、夜は夜で、平時よりは少ないものの飲み歩く人は相当数いた。自粛中と言えど「渋谷に行くのは罪悪感があるが、自宅近くならいいだろう」という心理も働いたのではないだろうか。
営業を自粛する店もある中で、営業を敢行する店も少なくはなかった。ところがそれ以上に人出があり、「緊急事態宣言中に、三軒茶屋でひとりで飲もうと店を探したものの、どこもいっぱいで、街中を歩き回ったものの入れなかった」という話を複数人から聞いたことがある。それくらい、当時の三茶は、「酒場難民」であふれていたのだ。 コロナ禍の影響が落ち着いてきてからは、三軒茶屋の酒場はさらに活況を呈している。飲み控えていた人たちが外出し始めたのに加え、コロナ禍で三軒茶屋にとどまった人たちはそれぞれ三軒茶屋で“行きつけ”を見つけ、もう渋谷や新宿に出向く必要がなくなってしまったようだ。