なぜ? 不可解と物議醸した「戦力外」選手たち 功労者や、期待の若手に “予期せぬ通告”
年齢的にもまだ働ける34歳とあって、大村は「1軍の力になれず、申し訳なかった。今は(オファーを)待つしかない」とトライアウトを受験せず、自主トレを続けていたが、年末になっても、受け入れ先は決まらない。「声をかけてもらったら行く。年俸はいくらでもいい」と浪人も覚悟で待ちつづけたが、願いは叶えられず、指導者にも解説者にもなることなく、野球界を去った。 第2回トライアウト実施前日という遅過ぎるタイミングで戦力外通告を受けたのが、中日時代の筒井壮だ。 星野仙一阪神SDの甥として知られる筒井は、03年に59試合に出場し、打率.291、2本塁打、8打点の成績を残したが、翌04年は出番が激減し、出場10試合の9打数3安打1打点に終わった。 そして、秋季キャンプが打ち上げられた11月23日、球団から「トレード要員として他球団と交渉も、話がまとまらなかった」として、突然戦力外通告を受ける。 すでにドラフトも終わり、各球団の来季の補強が固まりつつある時期での肩叩きに、筒井は「早く決めてくれることには越したことはなかったのですが」と戸惑うばかりだった。 これに対し、井手峻編成担当は「野球協約に則って戦力外通告を行った。遅いということはない」と説明したが、たとえ協約上問題がなくても、”再就職先“を探すのが難しい時期の戦力外通告は、問題があると言わざるを得ない。ドラフトで予定人数を超える11人を大量指名したことも、枠に余裕がなくなる一因になったようだ。 だが、捨てる神あれば拾う神あり。翌24日、阪神が獲得に名乗りを挙げる。星野SDを含むトップ会談の結果を受けてのものだが、岡田彰布監督は「オレがファーム(2軍監督)のときに一緒にやってる。元気があるからな」と“縁故採用”ではなく、自ら獲得にゴーサインを出したことを強調した。 その後、移籍が正式に決まった筒井は「阪神が獲ってくれたのは、叔父さんのお蔭だと思ってます」と感謝していたそうだが、阪神では2年間1軍出場のないまま、06年限りで現役引退となった。