真のグローバルECを作る日本発 Lingble社 CEO原田真帆人の哲学とは?
株式会社Lingble設立までの軌跡
ー学生時代から海外で起業したいという思いがありましたか。 ミネソタ大学を卒業したら、ペンキ屋をやりたいと考えていました。就活のためにボストンのキャリアフォーラムに参加したところ、偶然にも僕の出身地である三重県の四日市にある扇港産業という企業が来ていました。 お話を伺ったところ、日本にいるときにご飯でも食べにきなよとおっしゃってくださったので足を運びました。そこで社長の大隈正洋さんにペンキ屋をやってみたいんだという話をしたところ、それはいいアイディアだと太鼓判を押してくれたんですね。ただ財務を知らないなら、うちで1年間勉強したらどうだと言われて入社しました。 1年経ったときにはオランダに行ってみてはどうだと提案してくれて、ヨーロッパでの経験もいいだろうと思い飛びました。そんなこんなで、いろいろな事業を経験させていただきましたね。 その後、クックパッドでプログラミングやサービスづくりの勉強をさせてもらって、日本のデニムを世界中に売るぞと意気込んで作ったのが、プロスペクトフィールド(Denimio)という会社になります。
ー2019年にLingbleを立ち上げられましたが、海外展開をする上で苦労した点はありますか。 資金調達については、素晴らしい投資家さんに援助してもらうことができました。来世、再来世までお礼をしていかなければと思っています。そのようななかで苦労したのは、資金が入るとメンバーのなかにエゴが出始めたことです。 我々はシェルパとして顧客の目線で仕事をしてきたのに、いつの間にか「お金持ちになりたい」とか「有名になりたい」という自己都合のために仕事をするようになっていました。顧客を喜ばせるためだったのに、失敗を顧客に責任転嫁するというあってはならないことも起きました。 そのときには、あらためて社員を集めて、自分たちのブランディングを再確認しました。我々はシステム屋でもなく、カスタマーサポートでもない。シェルパなんだと。山登りの最中にシェルパが登山者に「なんでこの崖を登り切れないんだ」と暴言を吐いたり、登山者を置いて下山したりすることはあってはならないですよね。 いまでは社員一人ひとりが、「シェルパならどう行動するか」というマインドを大切にしています。 ーグローバルにどこでも仕事をできる環境を作るにあたって、影響を受けた企業や経営者はいますか。 我々が使用しているBasecampを提供している37 signalsという会社ですね。こちらはコロナ禍以前からリモートワークを行っていた会社で、大いに参考にさせてもらいました。 また、グローバルに自由に働く社風のために、4DX(The 4 Disciplines of Execution)という手法を取り入れています。自分がすべき仕事にレバレッジをかけて実行し、進捗をチーム全体で確認していく。そうしてPDCAサイクルを回しながら、より効率の良い仕事の仕方を模索しています。 ーグローバル企業だからこその社員同士の衝突などはありましたか。 文化の違いはひとつの壁でした。日本人はよく空気を読むと言われますが、外国人チームからしたら何だそれは、となります。ちゃんと口に出して言ってくれと。ですから、我々の原理原則に「Put the Fish on the Table」、つまり意見や不満は腹の中に溜めないで口に出していこうよというものがあります。 また、「Time Doctor」というリモート管理ソフトも導入しています。タイムカードのようなもので、仕事をするときにはオンにしてもらっています。スクリーンショットも撮ることができるので、あとで確認したときにちゃんと働いていたかどうかがわかる仕組みづくりをしています。正直な人はチェックされても困らないですからね。 自由な社風とはいえ、規律は定めなければなりません。そうしないとサボる社員が増えてしまい、真剣に働いている人たちがやめていくという崩壊が始まります。透明性のある文化を作っていくために、システムの導入や社員との契約には注意を払っています。