「お母さん、私うまくできたでしょ?」“親の顔色ばかりうかがう子ども”を生み出す、親の無意識な行動とは?
親の顔色をうかがわずに、自分らしくいてほしい
親子関係ではいろいろ苦労しましたが、結果的に医師になることができ、今、私は精神科医を自分の天職だと思っています。 苦しかった子ども時代も、親との葛藤(かっとう)も、出産も離婚も、子どもの不登校も、子どもの発達障害も、これまでの経験すべてが精神科医の仕事に活かされていると感じるからです。 中でも、長女の不登校は私にいろいろなことを考えさせ、気づかせてくれるきっかけになりました。 なんでもそつなくこなし、目立つ存在だった私とはちがい、長女は幼稚園のお遊戯会では舞台にすら立てませんでした。 ほかの子どもがみな踊っているのに、長女は困った顔をして舞台で棒立ちになっていました。 その姿を見て、はじめは「どうしてうちの子だけできないんだろう……」と胸がしめつけられるような気持ちになったこともありました。 が、その横で「お母さん、私うまくできたでしょ?」とうれしそうに言っているほかの子を見て、過去の母の顔色をうかがっていた自分と重なりました。 そしてふと冷静になってみると、長女には、親の私にいい顔をしようとか、私にほめてもらいたいという欲求がないんだなと思ったのです。 つまり、自分がいい子でいなければ親に嫌われるとは思っていない、ということです。 長女は、親が自分のすべてを受けとめてくれると信じているとも言えますから、もしかしたら、自分がやりたかった子育てができているのかもしれないと思いました。 その気づきは、私にとって大きな救いになりました。 そういう経験があったからこそ、私は学歴重視のような子育てをやめよう、子どものありのままを愛したいと思うようになったのです。 しかし、そうは言っても自分の子が、まわりの子と同じことができない姿を見ては、何度となく「なぜ、うちの子だけ(できないの)?」と思っては、夜中に1人で泣いていました。 ただ精神科医としての一面も顔を出したのか、そう感じるたびに、自分のこれまで生きてきた価値観の根底には、なにがあるのかを徹底的に振り返りました。 「女の子だからピアノは習わせるべきだ」 「みんなよりできて当然だ」 「学校は行かせるべきだ」 「中学受験をして、よい環境に身を置かせるべきだ」 などなど。 そして、そんな価値観を持つ自分を責めるのではなく、「ああ、私って、こんなふうにがんばって生きてきたんだな。もう、そんなにがんばらなくていいよ。そのままの私で生きていったっていいじゃん」と、自分自身に語りかけるという訓練をひたすら繰り返しました。 ただ、これは1日、2日の話ではありません。ひたすら1年、2年と繰り返し行いました。 そうしたら、なんと長女が学校に行っていなくても、一日中ゲームをしてすごす日があっても、ただただ娘たちの存在が愛おしいと思うようになっていったのです。 そうして考えが変わってきたら、自然に自分のことも昔より好きになることができたんですよね。 <児童精神科医のつぶやき> 『子どもの人生はだれのもの?子ども自身が舵取りする人生に』