林家木久扇「55年も『笑点』を続けられたのは、妻のおかげ。卒業後は寄席に出ながら、アニメ『落語スター・ウォーズ』を作りたい」
半世紀以上にわたりお茶の間で親しまれている演芸番組『笑点』。その初期からレギュラーメンバーとして出演し、黄色い着物が目印の林家木久扇さんが、2024年3月で番組から卒業することを発表しました。その理由を訊ねてみると(構成=山田真理 撮影=木村直軌) 【写真】林家木久扇さんの健康を守り続けた、《おかみさん》とのツーショット * * * * * * * ◆誰かが入り口で宣伝マンをやらないと 僕は日本橋の商家の生まれで、両親が離婚して母がお金で苦労したのを見てきたので、「お金は大事」ということが身に染みています。なにしろ大好きな言葉が「入金」ですからね(笑)。芸人はお金の話をするもんじゃないとか、貧乏暮らしが芸を磨くなんてことはあまり信じていないんです。 07年に木久蔵の名前を息子に譲って、僕が木久扇になる「W襲名」を考えたのも話題作りのためでした。息子が真打に昇進する時、「何か希望はある?」と聞いたら「有名になりたい」って(笑)。それにはどうしたらいいか2、3日頭を悩ませて、僕は顔も売れているし、名前を譲っても仕事的に問題はないだろうと考えた。 親子で「W襲名」なんて、落語はもちろん歌舞伎の世界でも前例がありません。テレビ各局のニュースはもちろん、「新幹線の電光掲示板にも流れたぞ」って友だちが電話で教えてくれるほど大きな話題を呼びました。 僕の新しい芸名を『笑点』で公募したら、3万通以上も応募があって、そこから「木久扇」に決めた。そうした話題性もあり、また親子の物語として皆さんの人情に訴えたことで(笑)、W襲名のお披露目興行は全国80ヵ所、最終的に200万人以上のお客様を集める大入り満員・大成功となりました。
◆親、子、孫の三代で高座に そこで初めて落語というものを生で観たというお客様も多かったと思います。落語は奥が深い世界だけど、誰かが入り口で宣伝マンをやらないと中へ入ってきてくれない。その役ができたことも僕は嬉しく思いました。 木久蔵の息子のコタも、小さい頃から落語に興味を持っていましてね。まあ自分ちの商売ですから、「やってみたい」と言うので小学生の時からぼつぼつ僕が教えてきました。9歳の時には親、子、孫の三代で高座にも上がったし、高校1年生の現在では5つくらいの演目をしゃべれるようになりました。 とはいえコタは落語を「やりたい」だけで、落語家に「なりたい」わけじゃない。僕らからも強制はしないつもりです。そもそもマイナーな商売なのに、その割に人数が多いんです。僕が落語協会に入った当時は70人だったのが、今や東京だけで600人近くもいる。 東京に4つしかない寄席に出るだけでも大変ですし、テレビの演芸番組もすでに名前が売れている人や、将来性のある人がピックアップされて出ている状況だからです。 コタは歴史が好きで、趣味は城跡をめぐること。こないだも友だち4人で城跡に行くというから、「どこの城?」と聞いたら掛川城ですって、渋いでしょう。好きな武将も大名も、という四国の地味な大名でね。そういう好きな道をまずは極めて、それを落語で培った話芸で面白く語れる人になるなんて道もいいんじゃないかと僕は思っています。
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