林家木久扇「55年も『笑点』を続けられたのは、妻のおかげ。卒業後は寄席に出ながら、アニメ『落語スター・ウォーズ』を作りたい」
◆妻をホッとさせてあげたい 今まで支えてくれた《おかみさん》――妻には本当に感謝しかありません。バルセロナ・オリンピックで一儲けしようと現地にラーメン屋を開いて失敗したり、タイからゾウを輸入しようとしてワシントン条約に引っかかって持ち込めなかったり(笑)。 そんなこんなでお金の苦労もかけたし、何より『笑点』を55年続けられたのは、妻が僕の健康を守ってくれたおかげ。今回の卒業も、妻をホッとさせてあげたい気持ちがあるんです。 僕は意外と体が弱くて、40歳になる前年に腸閉塞、63歳では胃がんを経験しています。77歳の時、どうも声が変だな、喉風かなと思っていたら、妻が、「それって風の声じゃないわよ」と。すぐに病院で検査を受けたら喉頭がんとわかって。治療もうまく進んで、商売道具の声を失わずに済みました。 疲れは自覚ができるけれど、僕の様子を親身になって観察してくれるのは長年一緒にいる夫婦だからこそ。だから妻のアドバイスは、必ず聞くようにしています。 お医者さんやリハビリの先生の言うこともよく聞く、真面目ないい患者なんですよ(笑)。3年前に大腿骨を骨折して車いす生活になるかもと言われましたが、地道にリハビリに励み1ヵ月で退院。翌月には椅子に座って高座にも上がりました。 現在も自分の体に合わせた個人指導のトレーニングに週1回通い、自宅でも加圧ベルトをしながら筋トレを続けたおかげで、小走りができるまでに回復しました。
◆『笑点』卒業を発表した後は もう一つ、僕が元気でいられるのは「笑い」のおかげ。笑いは認知症を遠ざけると言いますが、それは笑いが脳を活性化して元気づけるからだと思います。 僕は高座に上がる前、楽屋の鏡に向かってにっこり笑う。すると「今日の出演者の中で僕が一番面白い」「絶対にお客さんの心をつかむぞ」という気持ちで出ていけるんです。笑うと、嫌なことも忘れられますよね。 僕はバルセロナのラーメン屋で大失敗した時も、「スペイン人は猫舌で、あつあつのラーメンが来ても冷めるまで待つから麺がのびちゃう」「割り箸の使い方がわからず、棒のままくるくる麺を巻いてる人がいた」なんて話をぜんぶ落語にして笑いに変えちゃった。皆さんも、レストランの食事が美味しくなかったと怒るより、「こんなひどい味だった」と面白おかしくしゃべれば、周りも笑顔になって一石二鳥だと思いますよ。 『笑点』卒業後にできる時間を使って、これからやりたいことは山ほどあります。まず、美味しいものが好きな妻への恩返しで、日本海のカニとか関西の牛肉とか、美味しい名物の食べ歩き旅をしたい。旅といえば、バルセロナのラーメン店の跡地がどうなっているか確かめに行きたいという夢もある。(笑) 落語家の前は漫画家の弟子をしていたくらい絵が好きだし得意だから、それを生かして「落語スター・ウォーズ」というアニメを作りたい。ラーメン屋のロケットを宇宙に飛ばして、宇宙人がお箸の使い方がわからなくて大騒動とか。最初は5分くらいの短いアニメを作って、テレビで放送されたら嬉しいなって。それが僕のワクワクですね。 それから、『笑点』卒業を発表したら、落語家も引退と思っている方もいるようですが(笑)、そんなことはない。寄席にも出ますし、呼ばれればどこへでも行きますよ。今後とも林家木久扇をよろしくお願いいたします! (構成=山田真理、撮影=木村直軌)
林家木久扇
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