「第36回三田国際マスターズマラソン」…師走の兵庫を3013人が駆け抜ける
完走「私の平和運動」三田で語り部活動する98歳
大会最高齢となる98歳のランナー、葛下友和さん(三田市)がファンランに出場。自身も加わる「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」がノーベル平和賞を受けた記念すべき年に見事に完走し、「元気な姿を見せることが私の平和運動です」と語った。
広島市出身で、19歳の頃に爆心地から約2キロで被爆した。80歳を過ぎて長男がいる三田市に移り住み、近くの小学校で初めて体験を話して以来、被爆体験の語り部を続けている。
趣味のランニングで健脚を培い、三田マラソンでは過去、ハーフを9回完走した。走れなくなった今も両手でポールをついて歩き、ファンランに出場を続ける。
今、三田市と丹波地域の「丹有原爆被害者の会」で語り部活動を続けるのは、自分だけ。被団協の受賞には「私がしてきたことも認められた気分」と語る。テレビ中継で見た授賞式の感動がさめやらぬ中で迎えた今大会で、前回より記録を約2分縮めた。
義足で挑戦「亡き恩師に感謝」
右脚に競技用義足を着ける松本功さん(65)(大阪府吹田市)は笑顔でハーフを走り切ると、10年前に亡くなった恩人に思いをはせた。「先生と一緒に走っている感覚でした」
病気で右脚を膝の下から切断したのは9歳の時。当時の義足は機能が悪く、大好きだった運動ができなくなった。そんな自身に、走る喜びを与えてくれた「先生」が、「神戸医療福祉専門学校三田校」(三田市)の教員だった内田充彦さんだ。
出会いは2007年。同校で義肢装具士を目指す学生らのため、切断部の型取りなどに協力する「義足モデル」を始めた。内田さんは、多くの障害者アスリートに「板バネ」のついた競技用義足を提供する第一人者。「僕にも作ってください」という頼みに快諾してくれた。
義足で走る練習を重ね、11年の第1回神戸マラソンで完走。内田さんは「こういう時が義肢装具士として一番うれしい」と喜んでくれた。一緒に三田マラソンに出場したこともあった。だが、内田さんは14年2月、病気のため48歳で急死した。