【毎日書評】いつも「時間がない」人が有意義に過ごせるようになる1週間の使い方
つねに時間に追われている私たちは、「忙しいから」という理由でいろいろなことを先延ばししてしまいがちです。 それは仕方がないことでもあるでしょうが、『後悔しない時間の使い方』(ティボ・ムリス 著、弓場 隆 訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者は、あえてそうした日常に警鐘を鳴らしています。 時間は無慈悲である。 すべての瞬間はたった一回きりだからだ。無意味な活動に費やした膨大な時間は、もう取り戻すことはできない。しかも、あとどれくらいの時間が自分に残されているかは、誰にもわからない。 だが、時間は恵み深いものでもある。 時間は1秒ずつ確実に贈られてくるからだ。しかも、それを有効に使う機会は常にある。自分の価値観や向上心を反映するような方法で時間を上手に使うことは、誰にとっても可能なのだ。(「はじめに」より) だとすれば、恵み深い時間を無駄にはしたくないところ。けれど、それは難しいことでもあります。事実、そのやりくりがうまくいかないからこそ、多くの方が悩んでいるのです。 では、できる限り有意義な時間を過ごし、なるべく後悔することなく充実した人生を送るにはどうしたらいいのでしょうか? 著者によれば、それこそが本書のメインテーマ。そしてそれを実現するためにはまず、日ごろどのように時間を使っているかを自覚することから始めるべきだとも述べています。そうすることで、時間をより有効に使えるようになるのだと。 そのような考え方に基づく本書のなかから、きょうはPART 3「有意義な時間を過ごす」に注目してみたいと思います。
使ってはいけない危険なことば
かつて10年ほど日本で暮らしていたという著者は、「人びとはいつも忙しそうにしていた」と当時を振り返っています。「あの国では暇であることはまるでマナー違反のように考えられていて、生産的な社会の一員ではないことを意味しているようだ」とも。 では、私たちはなぜいつも忙しくし、なぜ「時間がない」といい続けるのでしょうか? それには、以下のような理由があるようです。 ・人生の責任をとりたくないから。 「時間がない」と言えば、責任を逃れることができる。つまり、人生で困難な変化を起こすのを避ける有効な理由になるのだ。自分の働き方を見直したり、非生産的な活動をやめて生産的な活動をしたりする必要がなくなる。 ・自分を被害者と位置づけたいから。 「時間がない」と主張すると、周囲の人の同情を買うことができる。そしてお互いにいたわりあって、「いつも忙しい」という共通認識を強化することができる。 ・何かをするモチベーションがないから。 「時間がない」と言うのは、「それは自分にとって大切ではないので時間を割きたくない」という意味である。だからモチベーションがわかないという意味でもある。 ・忙しく見せかけたいから。 多くの人が忙しそうに振る舞うことには文化的な理由がある。忙しそうにすることは、かっこよく見えるし、何かを成し遂げているように見える。そして、そういう考え方はやがて共同幻想になる。その結果、人びとは戦略的かつ建設的に考えず、ますます多くのことをカレンダーに書き込む。(112ページより) しかし、「時間がない」と本気で思っているのなら、普段の時間の使い方を考えなおすべきだと著者は主張しています。 誰もが同じように、毎日24時間を持っています。そして、「時間がない」と不平をいわずにすばらしいことを成し遂げている人がいる一方には、「時間がない」と不平をいいながら、いつも忙しそうにしている人も少なくありません。 問題は、不平を口にする人たちは単にバタバタしているだけで、とくになにも成し遂げていないということ。 だからこそ「時間がない」というセリフを禁句にし、そのかわり、次のようなポジティブな表現を使うべきだということです。 「今はすべきことがあるから、そのほかのための時間をつくらないことにする」 「今は多くのプロジェクトを抱えているから、しばらくそれ以外は後回しにする」(115ページより) もし自分にとってなにか大切なことがあるなら、それらに費やす時間をどうやってつくればいいかと、自分に問いかければいいのです。(111ページより)