大量の金貨と共にクレオパトラの胸像を発見か。エジプトで王冠を載せた女性像と多数の遺物が出土
ドミニカ共和国の考古学者、キャスリーン・マルティネスは、2005年からエジプト・アレキサンドリア県西部にあるタップ・オシリス・マグナ神殿でクレオパトラの墓を探し続けている。彼女が率いる調査団は、このほどドミニカ国立ペドロ・ヘンリケス・ウレーニャ大学(UNPHU)と合同で行った調査でクレオパトラがモデルと思われる胸像を発見したと発表した。アートネットが伝えた。 【写真】世界の遺跡ベスト24 世界三大美人の「クレオパトラ」として知られるプトレマイオス朝最後の女王、クレオパトラ7世(紀元前69年‐紀元前30年)は、古代ローマの指導者、ガイウス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスと愛人関係となり、アントニウスと対立したカエサルの後継者オクタウィアヌスに追い詰められ39歳で自殺した。現在クレオパトラの顔を知る手立ては、アントニウスが発行したとされている硬貨の横顔のみだ。 マルティネスたちは、紀元前1世紀頃に築かれた城壁付近の堆積物の中から、白い大理石で出来た手のひらサイズの女性像と、クレオパトラ7世の横顔を描いた硬貨337枚、石油ランプ、豊穣と愛と司る天空の女神ハトホルに捧げられた青銅の指輪、「ラー(太陽神)の裁きが下された」と刻まれたお守りなど、さまざまな遺物を発見した。 これらは当時、建造物建設の際に供物として埋められたと考えられている。
女性像は王冠を頭に載せており、マルティネスはクレオパトラをモデルにしていると考えている。だがエジプト考古最高評議会事務局長のモハメド・イスマイル・ハレドは声明の中で、「顔の特徴が既知のクレオパトラ7世の描写とは異なっており、多くの考古学者はこの主張に異論を唱えている」と指摘。過去にこの遺跡で発掘調査をしたことがある元同評議会事務総長のザヒ・ハワスも「胸像を注意深く見ました。 クレオパトラではなく、ローマ時代の誰かのものです」と否定した。 マルティネスのチームは、同遺跡で古代の湖マイオレット湖と地中海を結ぶ広大なトンネルと、少なくとも20基の墓を含むネクロポリスを発見した。また、水没地帯で行った発掘調査では、人工建造物や人骨、大量の土器を見つけている。念願のクレオパトラの墓にはまだ辿りつけていないが、マルティネスらのおかげで同遺跡の歴史の全貌が明らかになりつつある。
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