『光る君へ』で定子や倫子は「十二単」を着ていない。十二単は女房たちの仕事着、中宮は「普段着」で過ごしていた
NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO 日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。 【写真】昨年の時代祭の様子。紫式部は清少納言のうしろに… * * * * * * * ◆十二単は誰が着るもの? 『光る君へ』を観る楽しみのひとつが、登場人物がまとう華やかな平安装束ではないでしょうか。戦国時代の大河ドラマとも、江戸時代が舞台の『大奥』とも異なる雅な色彩の衣装に興味津々、という方も多いと思います。 ネット上の感想では「十二単がすてき!」「普段はなかなか見られない十二単に目が釘付け!」といったコメントも見かけます。しかし、まひろをはじめとする主要な登場人物は、いわゆる「十二単」をほとんど着ていないのです。少なくとも、今のところは……。 「えっ、どういうこと!? あの衣装は十二単じゃないの?」と、驚かれたでしょうか。 今後のことは別として、この原稿を書いている4月末の時点ではそうなのです。 平安時代の高貴な女性が着ていた装束といえば十二単――何を隠そう、以前は私自身もそう思っていました。でも、よくよく考えると、「十二単って、いったい何?」と思いませんか。 皇族方が宮中の儀式で着用されている姿をニュースでちらりと見る程度。どういう衣装なのか、きちんと理解している人は少ないのではないでしょうか。 単(ひとえ)の着物を12枚重ねるから「十二単」? 平安時代は、皇族以外の女性も「十二単」を着ていたの? わからないこと、疑問に思うことだらけです。
◆「十二単」は女官の“仕事着”だった そこで少し調べてみると、意外なことがわかりました。 私たちが一般に「十二単」と呼んでいるものは、平安時代の宮中における正装にあたるもの。正しくは女房装束と呼ばれ、宮中で仕える高位女官の、いわば仕事着のようなものだったのです。 長袴を履き、単の上に袿(うちき/内側に着るもの)と呼ばれる衣を何枚か重ねて、打衣(うちぎぬ/砧で打って光沢を出した衣)、表着(うわぎ/一般的には上に着る衣を指す。豪華な織物で仕立てられている場合が多い)、唐衣(からぎぬ/正装時、表着の上に着る袖幅の短い半身の衣)の順に着用。そして、裳を腰につけて後方に広げ、小腰と呼ばれる紐を前で結べば、着装完了です。 この女房装束は「唐衣裳」(からぎぬも)とも「裳唐衣」(もからぎぬ)とも呼ばれます。「唐衣裳」は多少変化をしながら今日まで受け継がれ、皇室の儀式などで着用される宮廷装束となったようです。 たっぷりした幅の布に長い飾り紐(引腰)が付いた裳は、うしろから見ると、かなりの存在感があります。現代の生活ではなかなか目にする機会はありませんが、「衣裳」という言葉があるように、衣(唐衣)と裳で正式の服装になるというわけです。
【関連記事】
- 『光る君へ』中宮という高い地位の彰子に教養を授けた紫式部。続きが読みたくて道長が下書きを盗んだ『源氏物語』は帝への特別な贈り物だった
- 『光る君へ』まひろは「姫さま」と呼ばれているのに家は驚くほど簡素。「平安のF4」の声掛けに、どうする?
- 大河『光る君へ』京都・平安京を舞台に繰り広げられる権謀術策と男女の愛憎。宇治は、平安貴族たちが好んで別荘を構えた「別業の地」
- 本郷和人『光る君へ』財前直見さん演じる息子溺愛『蜻蛉日記』の著者。ドラマでは「寧子」だが実際の名は…「政子」も「ねね」も本名は不明?女性の名前について
- 本郷和人『光る君へ』ドラマ内で紫式部は「まひろ」、清少納言は「ききょう」と呼ばれているけれど本当の名は…平安時代の女性の名前について