『光る君へ』で定子や倫子は「十二単」を着ていない。十二単は女房たちの仕事着、中宮は「普段着」で過ごしていた
◆ようやく登場した「唐衣裳」姿の清少納言 『光る君へ』の衣装をじっくり見ていただければわかりますが、これまでのところ、主要な登場人物が「唐衣裳」=いわゆる「十二単」を着ているシーンはごく限られています。 たとえば、序盤で藤原詮子が入内(じゅだい)する場面では、詮子を演じる吉田羊さんがあでやかな「唐衣裳」姿を披露。また、ききょうこと清少納言が宮中で定子に仕えるようになると、ファーストサマーウイカさんのきりっとした「唐衣裳」姿が、時折、見られるようになりました。 今後、物語が進み、まひろ(紫式部)が彰子に仕えるようになれば、主役の吉高由里子さんも、女房装束である「唐衣裳」を着ることになるはずです。まひろはどんな色の表着や唐衣を着るのでしょう。名前にちなみ、やはり紫色や藤色がメインになるのでしょうか……。 また、他の女房たちの色とりどりの「唐衣裳」姿も、できればもっと見たいもの。くるっと身体の向きを変えるときに、舞うように裳が翻る――そんなシーンはとても美しく、見惚れてしまいます。 むろん、こうした所作を習得するには、相当な努力が必要なはず。「唐衣裳」はかなりの重さがありますし、長袴の足さばきも難しい。女優さんもたいへんだなと、つくづく思います。 なぜそんなことを考えるかというと、私もこの「唐衣裳」を実際に着たことがあるからです。取材とはいえ、ほんとうに貴重な体験をさせていただきました。ご協力いただいた「十二単記念撮影館 雪月花苑」と、同施設を運営する福呂一榮さんについては、また別の回で詳しくご紹介したいと思っています。
◆中宮はくつろいだスタイルで では、一条天皇の中宮である定子や道長の妻・倫子や明子の衣装はどうでしょうか。 日常の場面が多いこともあってか、唐衣や裳はつけていません。これは袿姿(袿袴姿)と呼ばれるもので、袴の上に単を着て、その上に袿を何枚か重ねたもの。正装から唐衣と裳を省いたカジュアルなスタイルになります。 皇太后という地位を得て権勢を振るう詮子も、実家にいるときはもちろん、一条天皇の御前でも袿姿です。つまり、宮中の女房たちは「唐衣裳」で正装しなければなりませんが、彼女たちの主人である高貴な女性たちは、リラックスできる袿姿で日常生活のほとんどを過ごしていたのです。 そして、やや改まった席では、袿姿の上に袿より身丈が少し短い小袿(こうちき)を重ねたそうです。小袿は、唐衣などと同様に、重厚で華やかな二陪織物(ふたえおりもの/地文様の上に別の色糸で上文様を浮織した豪華な織物)などで仕立てられており、この小袿姿が高貴な女性の略装となったのです。
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