石原慶幸 引退惜別インタビュー 感謝、感謝の悔いなき19年
カープひと筋19年。入団2年目からレギュラーとなり、球団の捕手としては最多出場、最多安打を記録した。ただ、若手時代は勝てない状況が続いた。苦しい日々だった。それでも、チームが一丸となって戦えるよう心を砕いて取り組んだ。それはやがて、リーグ3連覇として実を結んでいった。 取材・構成=藤本泰祐 写真=太田裕史、BBM 今季は開幕こそ一軍で迎えたが、その後ファームとの往復もあり、8月27日には左足を痛めた。10月16日に今季限りでの引退を発表。11月7日、マツダ広島での阪神戦が引退試合となった。 ◎ ──19年間の現役生活、お疲れ様でした。引退試合から少し時間がたちましたが、いかがでしょうか? 石原 心境ですか? まあやっぱり時間がたつにつれて、「終わったんだな」っていう感じがしますね。 ──どういうとき引退を実感されますか。 石原 やっぱり今までだったら、朝起きたら、リハビリに行ったり、練習しに行ったりと、引退試合までは、過ごしていましたけど、もうそういうこともないですし。「あ、別にどこに行くことも、しなくていいんだ」みたいな感じですね。 ──縛られていた日常から少し解放された。 石原 そうですね。 ──引退試合は、守備から入って1打席立つ、という形でした。それは決まっていたのでしょうか。 石原 まあ試合の流れを見ながら、という感じだったですけど、そういう形が取れたらそういう形で用意してくれる、ということでした。 ──打席のときは同級生の能見(能見篤史)投手が出てきてくれました。 石原 ホントに、出てきてくれただけでうれしいですし、感謝しています。もう、同学年の選手というのがホントに少なくなってきたんでね。その中で、わざわざ投げてくれて。阪神のほうにもご迷惑かけて申し訳なかったですけれども、ホントに「ありがとうございます」しかないですよね。 ──最後は外野まで飛ばしました(右飛)。 石原 いやあ、まあ当たっただけいいというか(笑)。最後、やっぱり能見と対戦できて、現役生活を終えられたというのは、いい思い出になりましたね。 ──守っているときはどんなことを思われましたか。 石原 守っているときは意外と、ホント、いつもと変わりなく、「何とか0点に」という思いで。廉(中田廉)のいいところを引き出せるように、と思いながら守りました。 ──引退を決意されたのは、今年の左足の故障より前ですか? それとも後ですか? 石原 前ですね。周りからは、ケガもあって、という感じで言われたりもしましたけど、その前に、自分の中では決断していたっていう部分があるんで。ケガをして、「体もやっぱりそうだったのか」って思った感じでしたね。最後の最後に。 ──では体より気持ちのほうが先にやめる、という感じだったところもある。 石原 そうですね、ハイ。 プロ入り当初は、そのレベルの高さに圧倒されたというが、キャッチングを磨き、早くにレギュラーを手にした。それでもなかなか勝てない日々。捕手としての勉強が続いた。 ◎ ──大学からの入団で、19年間プレー。入られたときには、こんなに長くプレーできるとは……。 石原 いやもう、まったく思っていなかったですね。最初のキャンプで見たとき・・・
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週刊ベースボール