男性が男性だけに同情する「ヒムパシー」ってなに?【中年男性、トキメキ美容沼へ】
ヒムパシー社会を変えていこう
海外でも、性加害をした大学生が、裁判でとても寛大な判決を受けるといった事例が報告されています。なぜならその大学生は、水泳選手として卓越した能力を持ち、今後の水泳競技を背負って立つ「ゴールデンボーイ」で、未来を期待される有望選手だったためです。すると裁判官までが加害側にヒムパシーを発揮して、非常に軽い罰則(3ヶ月の服役)だけという優しい判決を出してしまうのでます。本を読んでいて、こうした記述を目にしたときにはぞっとしました(ケイト・マン『ひれふせ、女たち』慶應義塾大学出版会)。司法システムまでがヒムパシーを判断基準しているとなると、女性としてはたまったものではありませんが、たしかに男性に対してのみ基準が甘いと感じる事象は多々あります。他の部分ではまともな判断ができる理性的な男性でも、同性のやらかしにだけはつい目をつぶってしまう。こうした状況がさらにエスカレートすると、やがて男性の側が「性加害などという訴えをされて、むしろ自分の方が被害者だ」などと怒り出すパターンもよく見かけます。性被害を告発した女性の方が逆に、男性を苦しめている悪人だと言わんばかりの主張が始まるのですから、困ったものです。 こうして考えてみると、ヒムパシーはある種の互助会のようにも見えます。性加害が起こった際、周囲はこんな風にして男性側を擁護します。「普段はとても親切だ」「まわりからの評判もいい」「たった一度の過ちで人生を棒に振るなんて」。そこには無意識のうちに、男性のキャリアや地位の方が、女性の人生よりも重みがあるといった偏見が含まれているように思えてなりません。例を挙げれば、映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2021)では、性加害が発覚しそうになった男性のあいだで怒涛の助け合いが展開されます。この恐怖の互助会システムは、ぜひ男性に見ていただきたい作品です。とてもよくない種類の一致団結が、観客を震撼させるのです。男性はこうした互助会精神が自分のなかに生じていないか、自分自身を見つめ直す必要があるかと思います。こと問題が男性同士のことになると、とたんに判断力が鈍ってしまうケースが多いのです。男性が同じ男性だけを特別にかばってしまうのは、何もマスコミのニュースや芸能界、有名人に限った話ではなく、会社組織や社会生活といった日常のなかでもよく起こることだと思います。できるだけ男女がフェアに暮らしていけるような環境を、個人のレベルから作っていくことが大切かと思います。