理想と現実のはざまで……代表選に見る立憲民主党の“成熟度”
続いて原発に対する認識です。 「デジタル需要などで電力需要は右肩上がり、再生可能エネルギー普及の進捗状況を考えると、原発に依存しない社会を実現にする表現にした、理想を掲げながらどう現実的に対応するか」(野田氏) 「原発に依存しない社会を目指すことを強調すべき。既存の原発廃炉や使用済み核燃料の処理、技術者育成は100年単位だ。原発ゼロを目指すと言ってしまうとすぐに安全になるという誤解を招く。そこは気を付けるべき」(枝野氏) 「すべてクリアしたものは動かすのはあってよいこと。高い目標、理想を掲げるだけでは何も変わらない。原発ゼロが先に来るのではなくて、再生可能エネルギーに力を入れ、原発がなくてもよい社会をつくらなければ原発は動き続ける。現実をみて歩むべき」(泉氏) 「できないと言っていたらいつまでもできない。原発のない社会を目指すことは党是でもある。新しい産業や技術革新、再生可能エネルギーについても機器を輸入に頼っている。ここから変えたい」(吉田氏) かつて政権を担った候補者からは経験に基づく「現実路線」の発言が目立ちました。このような発言があると「官僚べったりだ」「役人に取り込まれた」などと批判する声もありますが、そもそも、政治家と官僚は敵対する関係ではありません。利害が対立することもあり、一定の緊張感は必要ですが、それを調整し、国を正しい方向に導いていくことが本来の姿だと思います。 もちろん「理想論」を語る人を否定するものではありません。あるべき姿を語る姿勢は必要です。しかし、これまた多様性、人それぞれに違う理想があります。それを調整し、皆が納得できる現実的なものとして落とし込んでいくのが政治です。理想を各々が勝手に主張するのは、誤解を恐れずに言えば「評論家団体」に過ぎません。そうした立場が自由闊達で居心地がいいと言う人もいるでしょうが、政権を担うのであれば、評論家団体からの脱却が必要となるでしょう。今回の代表選で、現実的な解を模索する手法を身に着けた人が出てきたのであれば、党も成熟の一歩を踏み出したと言えるのではないしょうか。「悪夢」と言われた旧民主党政権も決して無駄ではなかったということになります。 一方、立憲民主党には依然として安全保障や憲法に関する姿勢が見えてきません。何よりも決定的に欠けているのは党内をまとめるガバナンス(統治能力)です。それは「政治とカネ」に関するガバナンスとは違う次元のものです。旧民主党政権時代は、結論がなかなかまとまらず、日付をまたいで未明まで議論がもつれ込むことがしばしばでした。そのたびにメディアは、議論が行われている部屋の外の廊下で、終わりをじっと待つ日が続きました。自民党にもこうした「ゴタゴタ」はありますが、その混乱ぶりは自民党の比ではなく、いつしか「決められない政権」というレッテルを貼られました。内閣支持率は低迷。党も分裂し、政権は3年あまりで終焉しました。 理想と現実のはざまで揺れ動くのは立憲民主党のみならず、政党の常ではありますが、今回選ばれる代表に求められるのはガバナンスだと断言します。それが確立されれば、さらなる成熟を促し、自民党にとって大きな脅威となり得るでしょう。 (了)