【秘話】皇室が繋ぐポーランドとの絆「支援が無ければ我々の生活なかった」上皇ご夫妻が面会 100年前に日本が救った“シベリア孤児”
高円宮妃久子さまは、5月31日、東京渋谷区にある社会福祉法人・福田会(ふくでんかい)を訪れ、シベリア孤児来日100年記念式典およびレリーフ除幕式に参加されました。 【画像】日本と“親日国”ポーランドを結ぶシベリア孤児 光を当てた上皇ご夫妻の訪問 シベリア孤児来日は、あまり知られていませんが、戦前に日本が行った国際的な人道支援といわれています。 歴史の波に埋もれていた「シベリア孤児」に光を当て、日本とポーランドの絆を固めたのは、皇室の皆様の活動でした。
シベリアに流刑されたポーランド人
シベリアからの孤児の来日を知るには100年ほど前の世界情勢に遡らねばなりません。ポーランドは1795年、帝政ロシア、プロイセン、ハプスブルク家のオーストリアの3国に分割され地図から姿を消してしまいます。 こうしたことから、ポーランド人の中には、分割統治する国に対し反旗を翻す人たちも現れました。 帝政ロシアでは、反抗する人たちを、ウラル山脈より東の極寒の地シベリアへと流刑にしました。 さらに、1917年ロシア革命も、シベリアに流刑にされたポーランド人に悲劇を与えます。 ロシア各地の内戦によりシベリアのポーランド人は難民化していくのです。 そんな中、ウラジオストックにすんでいたポーランド人が立ち上がり、当時、シベリアに出兵していた日本軍を頼り、子供たちだけでも助けてほしいと懇願したのです。 日本政府は懇願を受け入れ、日本赤十字社に救済事業を要請します。 こうして、1920年から21年にかけ第一回目の救済活動が行われ、孤児たちはウラジオストックから福井県の敦賀港を経て東京へ。第2回目は1922年、敦賀港を経て大阪へ。あわせて765人の孤児たちが来日したのです。 東京で孤児を受け入れたのが、当時、児童福祉施設だった福田会でした。 日本赤十字社とは、隣り合わせで、職員も行き来がしやすく、滞在するのに利便性が高かったためのようです。そして、来日した子供たちは、誰一人亡くなることなく、祖国のポーランドやアメリカなどへと旅立ったということです。