【秘話】皇室が繋ぐポーランドとの絆「支援が無ければ我々の生活なかった」上皇ご夫妻が面会 100年前に日本が救った“シベリア孤児”
上皇ご夫妻のポーランド訪問
この人道支援は、ポーランドの人たちの中でも語り継がれました。 その一方で、日本では忘れ去られた歴史となっていきます。 そこに一筋の光を当てられたのが上皇ご夫妻でした。 2002年7月にポーランドを訪問された上皇ご夫妻は、日本大使公邸で行われたレセプションで、3人の孤児とお会いになったのです。 きっかけは、孤児の1人、サドリスクさんが上皇后美智子さまに宛てて、感謝の気持ちを手紙に書いたことでした。 色々な人の手を経て美智子さまに手紙は渡りましたが、手紙をしたためたサドリスクさんは上皇ご夫妻のご訪問前に亡くなりました。 そんな中で、上皇ご夫妻と孤児との面会が実現したのです。 来日した当時のことを上皇ご夫妻から尋ねられた孤児は、「日本の援助のおかげで生きてこられました」などと感謝の気持ちを伝えたということです。 このことは、ポーランドだけでなく日本でも報道されました。 秋篠宮ご夫妻は、国交樹立100周年に当たる2019年にポーランドを公式訪問した際には、記念レセプションで「1920年代,日本はシベリア孤児の救出に尽力いたしました」と述べられています。 さらに一人のポーランド人が日本で歴史を掘り起こしてくれたのです。 2010年、当時駐日ポーランド大使をしていたロドヴィッチさんが、広尾周辺をジョギングしていた際、「福田会」の看板を見つけたのです。
新たな絆を生んだ大使の発見
ロドヴィッチさんは、シベリアからの孤児が来日した話や、滞在した福田会の名前を知っていました。 そこで、ロドヴィッチさんは福田会に問い合わせをしたのですが、福田会ではそうした資料が残されておらず、このときは確認が取れませんでした。 その後、孤児を受け入れた日本赤十字社の資料や写真から、ようやく孤児たちが滞在した福田会の場所が特定できたというのです。 2023年には、ポーランド側から「両国の友好と協力関係、繁栄の象徴」としてリンゴの木が福田会に送られ、植樹されています。 今回の式典には、孤児として来日したポーランド人の子孫16家族38人がポーランドやアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアから来日し、出席しました。 ご存命の孤児の方はもういらっしゃらなくなっていました。