独学、大けが、コロナ禍……苦難の連続も「踊ればハッピー」 インド人ダンサーが米国で成功するまで 「コール・ミー・ダンサー」
「コール・ミー・ダンサー」は、ニューヨークのダンスカンパニーで活躍するインド人ダンサー、マニーシュ・チャウハンのドキュメンタリーだ。ダンスとは縁遠い環境に育ちながらボリウッドに憧れ独学し、アメリカ人ダンス教師に認められて渡米するもののいくつもの障壁にぶつかり……と、劇的な半生を送ってきた。ニューヨークから来日したダンサー、マニーシュが苦難と成長の軌跡と未来像を語った。 【写真】インタビューに答える「コール・ミー・ダンサー」のマニーシュ・チャウハン
テレビ出演でチャンスつかむ
インドの踊りといえば「RRR」や「ムトゥ 踊るマハラジャ」などのボリウッドダンスが頭に浮かぶが、本作の主人公マニーシュ・チャウハンはクラシックバレエ、コンテンポラリーダンスで才能を開花させた。 マニーシュはボリウッド映画のアクロバティックな動きに魅了され、自己流のトレーニングを始める。この時、18歳。インドではダンスは富裕層の趣味で、タクシー運転手の息子のマニーシュはダンスが仕事になると思っていなかったが、テレビ出演をきっかけにアメリカ人のダンス教師イェフダに出会う。イェフダは努力を重ねるマニーシュの才能にほれ込むが、受け入れ先のカンパニーが決まらないまま、25歳で大けが。コロナ禍のロックダウンでカンパニーが活動を自粛する中、マニーシュは最後のチャンスと信じニューヨークのダンススクールの扉をたたく。
トイレで泣いたスクール時代
大きな壁に何度ぶつかっても諦めなかった理由を、こう語る。「踊ることは自分をハッピーにしてくれるんだ。インドからアメリカに渡ってダンススクールに入った時、周りはみんな15歳くらい。僕はとっくに20歳を超えていた。15歳でも僕よりダンス歴が長い子ばかりで気持ちが少し落ち込んだし、『(年上過ぎて)一緒に踊りたくない』と言われてトイレですねてしまったこともあった」。そんな苦労を笑顔で話す。「すべてはタイミングや理由があって起きたこと。大けがも同じだ」 「もっと早くにダンスに出会っていたら燃え尽きていたかもしれないし、単なる趣味で終わったかもしれない。遅くに始めたことで、ハングリーな心構えでつかめるだけつかみとろうという気持ちになれたし、プロになることを見据えて精いっぱい努力することができた」と自身の運命をひたすら前向きにとらえる。自身の映画を見て改めて「あらかじめ自分で書いたみたいな脚本で、ドラマチック。人生とはこうして進んでいくのか」とも感じたという。 インドではダンス、特にクラシックバレエは一部のお金持ちしかのぞけない世界。打ち込むインド人は多くなかった。そこを打ち破るエネルギー、モチベーションの背景には「反骨心のようなものもあったかもしれない」と話した。ただ「本当にプロになれるのか不安だったし、アメリカに渡ろうとした時もビザが2回通らなかった。自分の運命ではないのではと考えたこともあった」。