『ガールズ&パンツァー』で活躍するBT-42突撃砲のご先祖様! クリスティー式を採用したM1931とは? 天才エンジニアの苦心が戦車で結実
性能試験場で良好な性能を発揮したM1931は増加試作車の製造が決定
M1931の試作1号車は1931年年頭に完成し、クリスティーは早速完成車の社内テストを実施した。その結果、重量の増加により最高速度は装軌走行時で45km/h、舗装路の装輪走行時に70km/hとM1928の60%程度まで低下したが、それでも当時の平均的な戦車の倍以上のスピードであり、当時の技術水準を考えれば、充分すぎるほどの性能であった。 社内試験が終わった試作1号車は非武装の状態で、1931年3月に陸軍兵器局の性能試験場があるメリーランド州アバディーンに送られた。この地で2ヶ月間におよぶテストを受け、陸軍からいくつかの改良点が指摘されると、試作1号車はいったん工場に差し戻されて再設計されることになった。 軍の試験結果に基づいて改良を受けた2号車以降の増車試作車は、砲塔の形状変更や車長用のキューポラと後部ハッチの追加、マフラーの形状変更(箱型から円筒形に形状を改め、耐熱塗装の銀色で塗装された)などの仕様変更を受けている。なお、これにて役目を終えた試作1号車は、のちに生産された改良型の1輌とともにクリスティーの所有物になり、社内試験や新戦車のテストベッドに用いられることになる。
M1931は現場部隊で試験実施が決定歩兵向けのT3と騎兵向けのT1の制式番号が与えられる
試作1号車が概ね仕様書通りの性能を発揮したことを受けて、同年3月25日にクリスティーは陸軍との間であらたに5輌の試作車を製造する契約を締結し、6月にはさらに2輌の追加契約を結んだ。契約書によると兵装や砲塔、エンジン、マフラー、無線機を除いた戦車の価格は1輌当たり3万4500ドルとされ、非武装かつ自走可能な状態で車輌を納品することで合意している。全装備を備えた完成車の状態での契約とならなかったのは、必要に応じて装備品をダウングレードできるように陸軍が経費削減の余地を残した結果とされているが、クリスティーの戦車開発を快く思わない歩兵戦車委員会の妨害工作とも言われている。 試作車の生産は順調に進み試作2号車は9月に納入され、1932年3月までには7輌すべてが陸軍に引き渡された。陸軍はM1931を歩兵局と騎兵局でそれぞれ個別にテストすることにした。前者の車輌には「コンバーチブル中戦車T3」の名称が与えられ、後者の車輌には「戦闘車T1」の名称が与えられた。 テスト車輌は歩兵局に3輌、騎兵局に4輌が割り当てられた。歩兵局でのテストはアラバマ州とジョージア州の州境のコロンバス市にあるフォート・ベニング(現・フォート・ムーア)駐屯地を拠点とする第67歩兵連隊(現・第67機甲連隊)で実施され、騎兵局でのテストはケンタッキー州のフォート・ノックス駐屯地に駐留する第1騎兵連隊が担当することになった。