『ガールズ&パンツァー』で活躍するBT-42突撃砲のご先祖様! クリスティー式を採用したM1931とは? 天才エンジニアの苦心が戦車で結実
第67歩兵連隊で実施されたコンバーチブル中戦車T3の部隊運用テスト
第67歩兵連隊に送られた3輌のT3は、試作2号車に「トルネード」、試作6号車に「ハリケーン」、試作7号車に「サイクロン」の愛称が与えられた。 テスト車輌はコンバーチブル中戦車T3の名前の通り、全車コンバーチブルドライブ(装輪装軌併用式)が採用されており、舗装路を履帯を外した状態で走行を可能にしていた。このうちトルネードとハリケーンは車体後部の駆動輪と第4転輪をチェーンで繋ぐことによって動力を転輪に伝えるが、サイクロンのみチェーンの代わりに5つのギアを組み合わせることで転輪に動力を伝えるという駆動系の違いがある。なお、このギアドライブを備えた車輌にはT3E1の形式番号が与えられた。テストは双方の機構の違いを比較検証する目的もあったのだ。 計画では引き渡しと同時に直ちに装備を整えて、ただちにT3を戦闘装備とする手筈になっていたのだが、実際には車輌の納車時には武装や装備品が届いておらず、五月雨式に届いた武装や機器を都度取り付けることとなった。T3全車が完全なカタチになったのは、採用の可否が決定したあとの1933年に入ってからのことであった。 T3全車が揃っての最初の長距離移動テストは1932年6月17日に実施された。テストはフォート・ベニングから同じ州内にあるフォート・マクファーソン駐屯地までを往復するというものだ。総移動距離は377km。試験に参加した3輌のT3のうち、サイクロンがエンジンからオイル漏れを起こし、駆動システムに些細なトラブルを生じたもののテストは概ね順調に進み、平均時速34.8~38.9km/hの速度で走り切った。当時の戦車が自走で移動する距離としてはかなりの長距離であったが、クリスティー式サスペンションによる乗り心地は極めて良好で、参加した乗員は疲労の色をまったく見せなかったという。 その後も3輌のT3は様々な試験プログラムや演習参加をこなして、同連隊が他に保有するT1軽戦車やT1E1中戦車、T2中戦車と比べても性能面で優秀さを示した。 その間にもT3は適時改良を受け、砲塔に無線機用のポールアンテナが追加されたほか、ハリケーンにはドライバー用に防弾ガラスが装備され、サイクロンはマフラーを取り外し、リアパネルをハッチ化したことでギヤドライブへのアクセスを容易にしている。 歩兵連隊によるテストは概ね良好との評価を受けた。テストを受けた3輌のT3は試験終了までに合計で2258kmを走破し、優れた機動性と強力な火力によって申し分ない性能を発揮した。数少ない問題点は防御力の不安と信頼性であった。防御力に関してはこの頃のほかの戦車も大同小異であり、取り立てて問題視されるほどのことではなく、信頼性についても量産時には改善される見込みであった。F中隊の報告書によれば「コンバーチブル中戦車T3は、これまでに生産されたあらゆる戦車よりも性能的に優秀であり、歩兵との共同作戦において、もっとも適切な戦車と言える」と結んでいる。