「あの言葉がなかったら死んでいた」東日本大震災から13年…住民100人の証言、生死を分けた“避難行動”
「あの言葉がなかったら死んでいた」率先避難の重要性
さまざまな事情によって逃げ遅れた住民が多くいたが、一方で避難を後押しした行動があったこともわかってきた。地震発生からおよそ15分後、小学校では教員の呼び掛けで児童224人が避難を開始。多くの住民が動き出す前に、高台へと向かっていた。 門脇小学校の校長だった鈴木洋子さん(73)は、当時避難の指揮をとっていた。「常に避難訓練の時は高台へ、津波が来たら地震連動で高台へ逃げるという訓練をしていた。とにかく早く、一刻も早く、子どもたちを安全な場所へ避難させる。その一念のみ」。 いち早い集団避難がプラスに働き、子どもたちが先に逃げたことを知った保護者が後を追い掛けて高台へと向かい、結果的に津波から逃れていたのだ。また、集団避難を見て危機感を感じ、避難した住民がいたこともわかった。高台への避難の流れは、さらに広がっていく。
石川芳恵さん(60)は、夫と息子、兄の4人で小学校に避難してきた。自宅にいる犬を心配して一度戻った夫の帰りを待って、ひたすら校庭にとどまり続けていた。「すごく緊張していた。あと焦っていたのは覚えている。何も考えていなかった。門脇小学校が最終目的地だった」。 地震に動揺していて、高台まで逃げる考えがなかった石川さん。校庭には4人の教員が残って、高台への避難を呼び掛けていた。この呼び掛けは、教員から住民へ、住民から他の住民へとつながり石川さんの耳に入ったという。背中を押されるように避難を開始し、山を駆け上がった。校庭に戻った夫も避難を促され高台へと向かった。そして、石川さんらが避難を始めて15分後に津波が押し寄せた。 「私が今生きているのは、あの声掛け。あの言葉がなかったらここで死んでいた」(石川さん) こうした小学校の率先避難によって住民が高台へと続いた流れについて、牧野嶋さんは「避難の連鎖」と呼んでいる。「率先避難は、当初津波の危機感を高く持っていない方にも影響して、そうした方が逃げられることにつながり得るところが重要な点」と説明した。