「あの言葉がなかったら死んでいた」東日本大震災から13年…住民100人の証言、生死を分けた“避難行動”
住民のおよそ半数が2回以上“移動”
妻と子どもの5人で暮らしていた草島真人さん(64)は、家庭教師の仕事をしていて、教え子の家に向かう途中で地震に遭った。 「家に子どもがいたので、例えばタンスが倒れて、『お父さん助けて』と言っていても、私が(津波が)怖いから戻らなくて、ぐったりしている娘を見た時に自分として大丈夫だろうかと思ったら不安がだんだん大きくなっていって。直接自分の目で確認するしかないと、見に行こうと思った」(草島さん) 海岸から5キロほど離れた場所にいた草島さんは、家族と連絡がつかず、海のそばにあった自宅へと車を走らせた。地震発生から30分後、自宅に到着したが家族の姿はなかった。避難所の小学校にも行ったが、そこでも家族は見つからなかった。 この時、知り合いと交わした会話に、さらに翻弄される。「『草島さんちどうなの?』と(聞かれて)、『今晩というより10日間ぐらいは避難所で暮らさないと』と言ったら、『うちも難しい、だからこういう物を持ってきたけど、持ってきた?』と聞かれて。準備もしないで避難所に来たら駄目だったのかなと」。
地震発生から54分が経過していたが、避難所生活に備えようと再び海のそばにある自宅に向けてハンドルを切った。その時、自宅の数十メートル手前で、道の先から黒い水がゆっくりと迫ってきた。慌てて引き返そうとした瞬間、目に飛び込んだのは、巨大な津波だった。「目の前に高い水平線がある。津波を見た時に、死を覚悟したというより、死んだと思った」。 バックのままアクセルを踏み込み、間一髪のところで、高台まで逃げることができた。家族は、別の場所に避難していて無事だった。 「同じ判断をした人はかなりの人数いる。大半の人が死んでいる。災害が起こった時にどうしようと思ったら、やっぱり戻る。だから、災害が起こる前に家族の信頼を深めていく。家族のためにも安全な場所にすぐに逃げるしかない」 調査を進めると、住民のおよそ半数が2回以上、多い人で7回、移動を繰り返していたことがわかった。