40年間"事件取材の鬼"だった62歳が新聞社を退職し「短大の保育学科に入りたい」と告げた時の妻の辛口対応
■息子の育児は妻に丸投げしてきた しかし、自身は子どもについてほとんど何も知らない。 息子の育児は仕事にかこつけて妻に丸投げしてきたし、発達過程や制度・法律に関する知識も薄い。「子どもを守るなどと大言壮語する前に、虚心に基礎知識や専門知識を頭に叩き込まなくては」。そう考え、短大の保育学科を目指そうと思い立った。 保育学科なら求める知識を体系的に学ぶことができ、保育士資格や幼稚園教諭免許もとれる。その上で「子どもを守る」につながる発信活動をすれば、説得力が増すはずだと考えた。もちろん、実際に保育所や幼稚園で働くことも視野に入れていたという。 「ただ、そもそもこんな還暦過ぎの半端者野郎が保育学科に入れるのかと思いまして、何校かに電話してお尋ねしたんです。『60過ぎの男子ですけれども、受験並びに入学は可能ですか』と。その中で、何歳であろうとどうぞと言ってくださった短大を受けようと決めました」 退職から数カ月後、緒方さんは妻におずおずと「短大の保育学科に入ろうと思う」と切り出した。そのときの妻の反応を、緒方さんは「あくまでも意訳ですよ」と断りを入れた上でこう表現してくれた。 「仕事を口実に家のことを一切せず育児も放棄、そんな人が何を今さら他人様の大切なお子さまを守りたいなどと言うのか」 とはいえ、妻はのちに心強い味方となる。実習時には朝早く起きて弁当を作ってくれ、与えられた課題に四苦八苦する緒方さんを見かねてピアノや裁縫を指導。童謡や手遊び歌を覚えられず困っていたときは、車の中でそれらのCDをかけてくれたという。
■同級生の多くは18歳の女性 63歳の春、晴れて東筑紫短期大学保育学科に入学。同級生の多くは18歳で、約90人のうち男性は緒方さんを含め7人だけだった。入学式では、新入生の席に着席したとたんざわめきが走り、いぶかしげな視線を一身に浴びた。 ただ、そんなことは緒方さんにとっては想定内。仕事がら多くの世代と接してきたため、10~20代の若者に交じって学ぶことにも不安はなかった。ただひとつ心配だったのは、自分ではなくまわりの学生の方がカルチャーショックを受けるだろうということ。 「ご覧の通り、こんな風体ですからね。だから皆さんの楽しい学生生活を邪魔してはいけない、そのためにどうすべきかを考えて行動しようと思い定めました」 常に「怪しい者ではございません」「困ったことがあれば私がお助けします」という姿勢を見せるよう心がけ、女子学生に対しては苗字にさん付けで呼び、話し言葉はですます調を貫いた。 ここでは自分は完全なるアウトサイダー。それを十分に自覚した上での、緒方さんなりの方策だった。 同級生たちに試験対策に役立ててもらおうと、自家版「傾向と対策」を作ったこともある。試験範囲を「全部」と言う教員を理詰めで追求し、その攻防から得られた情報を基に想定問題を作成。参考情報として、独自取材でつかんだ担当教員の個性やクセも書き加えた。皆からは大いに感謝され、中には手の回らなかった部分を作ってくれる学生も現れた。 ■「緒方さん、虫にさわれますか」 これで「頼れる人」という印象が浸透したのかもしれない。あるときには、女子学生が「緒方さん、虫にさわれますか」と尋ねてきた。聞けば女子更衣室にゴキブリが出て困っているとのこと。女子更衣室に入ることにためらいを感じたものの、その女子学生の先導を得て足を踏み入れ、手早くゴキブリを駆除してみせた。 「そんなこんながあって、皆さん段々と『こいつは危害を加えるビースト(野獣)ではないな』と思い始めてくれたようです」 最初は遠かった同級生たちとの距離は、日が経つにつれて縮まった。女子学生から「お友達になってください」と言われたり、男子学生から「女子の間でカワイイって言われていますよ」と聞かされたりもした。 おじさんに対する女子の「カワイイ」は最上級の親しみの表れと言えそうだが、そこでニヤけたりせず逆に気を引き締め直すのが緒方流。男子学生に対し、「根拠希薄な噂話を軽々しく口にするな。第一、そんなことで舞い上がるほどこちとらヤワじゃねえぞ」と釘を刺した。