「塩って差別化できるの…?」老いた男性が作り続けた天然塩を引き継いだ若手社長 価格3倍にしても歓迎の理由とは
◆故郷「メガネの聖地」のように
小林さんは、メガネの全国シェア95%以上で知られる福井県鯖江市出身で、父親も眼鏡工場を経営していました。 幼い頃、祖父から「人に使われる人間になるな」と言われていたこともあり、経営者を志しつつ、大阪の大学に進学しました。 その後、京都市のびんを洗浄する企業に勤めます。 瓶洗いは、ペットボトルの出現により、衰退は明らかでした。 社長と共に、ほとんどの事業をリニューアルし、入れ替えていきました。 そして2021年、小林さんは独立し、デザイン会社「マーケデザイン」を設立します。 デザイン会社ですが、企業ブランディングや新しいマーケットを探すなど、企業に伴奏する支援を始めていました。 池田さんの塩をブランディングするとき、小林さんはふと、故郷を重ねました。 鯖江市のメガネ生産額は、バブル以降にいったん急落しました。 でも、不況を乗りこえて生き残った企業がブランド化を進め、2010年代半ばから再び売上げを伸ばし、「メガネの聖地」と呼ばれるようになっていました。 「鯖江のメガネや、今治のタオルみたいに、丹後の塩も「聖地」を目指せるかもしれない」。 可能性を感じ、承継する決意を固めました。
◆製法はそのままに
池田さんの塩作りは、一般的な製塩で使われる濃縮した塩水は使わず、大釜で海水を煮詰める「平釜炊き」です。 海水を汲む場所も決まっていました。こうした製法は、そのまま引き継ぎ、釜を1基増やすことにしました。 一方で、名前は提案通り「丹後絹塩」としました。 池田さんは「太郎塩」を残したい気持ちがあったといいますが、ブランド確立のためでした。 2023年10月、小林さんは株式会社「丹後絹塩」を立ち上げました。 社員が製塩をするほか、京丹後市で同じ製法で作った塩を買い取り、全国、全世界へ販売する仕組みです。 既に、この動きに呼応した若者数人が、塩づくりを志し、京丹後市に移住し始めています。