「何のために生きているの?」に答えられなくて、苦しいとき。生きるのがラクになる考え方。
「自分は何も持っていない」「いつも他人を妬んでしまう」「毎日がつまらない」――誰しも一度は感じたことのある、やり場のない鬱屈した思い。そんな感情に寄り添ってくれるのが、クリープハイプ・尾崎世界観氏も推薦する『ぼくにはなにもない 愛蔵版』。この記事では、著者の齋藤真行氏に教えてもらった「ネガティブな気持ちを解消する方法」を紹介する。(構成/ダイヤモンド社・林拓馬) ● 「生きること」に意味は必要なのか? 「何のために生きているのか?」という問いに、満足な答えを出せないと感じる人は多いと思います。 まず問いかけるべきは「生きることには意味がなければいけない」という考え方が、私たちを過剰に悩ませているのではないかという点です。 「生きる意味」というものがあまりにも高い理想像に結びついていることが、強烈な生きづらさを生んでいるのではないかと感じます。 「生きる意味」については、二次的な後付けの問題である、ということをお伝えしたいと思います。 「生きていたいから生きている」「死にたくないから生きている」という理由だけで、まずは十分なのではないでしょうか。 生物として存在していること自体が、生きる根源的な目的であり、それ以上の理由や意味については、基本的に後付けで考えればよいことです。 自然界の動物たちを見てみると、彼らは「意味」を問うことなく生きています。 ライオンは腹が減れば狩りをし、満腹になれば休みます。 その繰り返しの中で生きて死ぬことに、疑問を持ちません。 人間もまた動物の一種である以上、「ただ存在すること」を最も重要な基盤とした生き方が自然なのだと思います。 ● 「生きる意味」が見つからなくても、焦る必要はない 「人の役に立たなければ意味がない」「認められないなら存在してはいけない」と考えてしまうのは、私たちが文化や社会の中で作り上げた極端な価値観から生じるものではないでしょうか。 生きていること自体が、それだけで尊いことであり、この存在の価値をしっかりと受けとめることがなによりも大事です。 存在の意味が後付けである以上、今生きる意味が見つからないとしても焦る必要はありません。 意味は時が経過し、自分の道を歩むなかで、だんだんと見つかるものでもあるからです。 ● 1ミリでも世界をよくするために生きている 以上をふまえたうえで、「何のために生きているのか」を自分なりに考えたいという人に、二つの指針を参考までにお伝えしたいと思います。 一つは、「1ミリでもこの世界をより良くするために生きている」ということです。 「生きる意味」を味わうために大それた事業を成し遂げる必要があるわけではなく、たとえば誰かに優しくする、ゴミをひとつ拾う、自分の身近な人をほんの少し笑顔にする――そういった小さな行動で十分だということです。 ほんのわずかであっても、自分が存在することによって世界が良い方向に進んでいる…。 それだけで、生きる理由としては十分ではないでしょうか。 ● 小さな喜びを重ねるために生きる 二つ目は、「小さな喜びを重ねるために生きている」ということです。 「これは嬉しい」「これは楽しい」と思える瞬間を見つけ、それを積み重ねていくことです。 特別に大きな喜びである必要はありません。 たとえば、朝のコーヒーを楽しむ、散歩中に心地よい風を感じる、好きな音楽を聴く――そういったごく小さな喜びの積み重ねが、生きる意味になり得るのです。 ● 「理想」ではなく現実的な基準で生きる 現代の社会では、SNSやメディアが発信する「理想」が多くの人に影響を与えています。 「大きな成功を収めなければ」「他人から称賛されるような成果を上げなければ」「人々からほめられる美しい容姿を保たなければ」…プレッシャーは増えていくばかりのように感じます。 しかし、これらの多くは極めて非現実的な基準です。 99%以上の人にとって、こういった「理想」は手が届かないものです。 それにもかかわらず、私たちはそうした理想を人間の「基準」と考え、そこに至らない自分を「生きる意味がない」と見なしてしまいがちです。 しかし、人類の歴史を築いてきた大半の人々はこのような虚像に囚われることなく、ごく小さなことを生きる意味、喜びとして大事にしてきたはずです。 「基準に達していない自分は生きる意味があるか」などという悩みは、少なくとも現代を生きる私たちほどには、先人たちは悩まなかったはずです。 私たちもより現実的な基準で、より身の丈に合ったスケールで生きることを考えるべきではないでしょうか。 「何のために生きているのか」という問いに対する答えは、必ずしも大きなものや特別なものでなくてもいいのです。 1ミリでも世界をより良くする。小さな喜びを感じる。それだけでとりあえず十分と考えることからはじめてはいかがでしょうか。 またこれを支える基盤として、「生きているだけで価値がある」ということを、もっと大切に考えるべきだと思います。 理想を追い求めることも大切ですが、とにもかくにも自分は日々生きることができているという事実そのものに感謝する姿勢が、最終的には人生の意味や喜びにつながるのではないでしょうか。 (本記事は『ぼくにはなにもない 愛蔵版』の著者、齋藤真行氏が特別に書き下ろしたものです)
齋藤真行/さいとう れい