【全日本プロレス 宮原健斗】12.31代々木で7度目の三冠王座に返り咲き、エースとして2024年をスタートさせる
史上最年少26歳11か月で三冠ヘビー級王者に
2016年2月12日、宮原は第54代三冠ヘビー級王者の諏訪魔に挑戦する予定だったが、諏訪魔がアキレス腱断裂による欠場のため、王座返上。急遽開催された三冠ヘビー級王座決定戦で宮原はゼウスと対戦し勝利。宮原は史上最年少、第55代三冠ヘビー級王座戴冠を成し遂げた。 「三冠ヘビー級王者になりましたけど、プロレスファンに認められてないのを肌で感じました。諏訪魔選手に勝って王者になったわけではない。王者がケガでタイトルを返上、ゼウス選手との王座決定戦でベルトを獲得。でもその頃、僕はトップ戦線に絡んではいなかった。どう考えても消去法のチャンピオン。『よし、俺が三冠ヘビー級王者になった。全日本を引っ張っていくぞ』という気持ちはなかったですね。ただ、あの頃、三冠王座は年齢が30~40代。『おじさんばっかり活躍してもしょうがない』と僕は思っていました」 そして‘消去法のチャンピオン’宮原健斗は王座戴冠を機に、リング上の戦いでプロレスファンの評価を変えていく。同年3月21日、大森隆男を下し初防衛。5月25日に大日本プロレスのエースで2016年チャンピオンカーニバル覇者・関本大介、6月15日はKAIENTAI DOJO(現2AW)の真霜拳號、7月23日には当時全日本プロレスの代表取締役社長である秋山準、8月27日はプロレスリングLAND'S ENDの崔領二を倒し、6か月で5度の防衛を成功させた。 宮原がタイトルを防衛するたびに、会場から起こる拍手と歓声が確実に増えていった。そして11月27日両国国技館、ケガから復帰し王道トーナメントを制した諏訪魔が挑戦者として名乗りをあげた。試合は諏訪魔の一撃必殺‘ラストライド’を3度跳ね返し、最後はシャットダウン・スープレックスで宮原健斗が勝利。翌週のプロレス誌の表紙を飾り「宮原イヤー」と評された。 「三冠王座を防衛するたびに、自分が少しずつプロレスファンに認められていくのを肌で感じましたね。プロレス専門誌の表紙を飾り、気になったファンから『最年少で三冠王者の宮原はどんな試合をするんだ』と関心を持たれている実感もあった。とにかく毎回必死に防衛し、いい試合をお見せすることを心がけていました」 「宮原イヤー」を象徴するかのように、2016年のプロレス大賞は単独ノミネートかつ棄権者無しの「満場一致」で、宮原健斗が殊勲賞に選ばれた。ここから宮原の愛称である『満場一致で最高の男』が生まれた。