「ヘインズ」のパックTシャツができるまで。永久定番名品誕生の歴史を徹底解説!
アメリカ南東部のノースカロライナ州で、プレザント・ヘンダーソン・ヘインズとその弟ジョン・ウェスレイによって、「P・H・ヘインズニッティング社」が設立された。紳士用のアンダーウエアを製造する会社としてスタートし、工業化が進展したこの時代に、優秀な技術者を集めて縫製工場を稼働させ、事業を拡大していった。 【写真】「ヘインズ」のパックTシャツの歴史、ディテールの詳細解説、着こなし画像をもっと見る! ヘインズは画期的なアイデアで新しい商品を次々と開発。1913年にワンピースタイプの斬新なアンダーウエア「ユニオン・スーツ」を発表し、大ヒットを博す。1920年代には全国キャンペーンを展開し、アパレル業界でも有力なメーカーに成長。
1924年になると初代となる“赤ラベル”を発表し、ヘインズ社のすべての商品を「ヘインズ」ブランドに統一。商品に赤いブランドロゴを付けることで、ブランドとしてのイメージを定着させることに取り組む。同時に全米での広告展開も開始して、ヘインズを世間に浸透させていく。 1940年代になるとボーイズアイテムの展開にも手を広げ、アンダーウエアだけでなくアウターとして着られるようなTシャツもリリースするように。アンダーウエアのバリエーションもタンクトップ、トランクス、ブリーフと増え、商品数や幅を拡大していった。
ヘインズは「コンフォート(快適さ)」を大切なコンセプトとして、魅力的な製品を開発し続けた。そしてアメリカ経済の成長期でもあった、第二次世界大戦後の1947年。ヘインズのアンダーウエアで毎日を快適に過ごしてほしいという願いから、複数枚を手頃な価格で提供できるパックTシャツを発売。「衣類をパッケージに入れる」という当時なかった発想で、エポックメイキングなアイテムに。 1950年代に入るとヘインズはロゴのデザインを一新。商品のクオリティの高さが広く認知され、アメリカのアンダーウエアのマーケットで不動の地位を確立した。広告ではイメージだけでなく、ハードに着こなしても、洗い続けても着心地は変わらないというメッセージも打ち出して品質のよさもアピールしていく。