落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで
巨人トレード「中畑プラス3億円」報道
なお、この時期の巨人は、1983年のリーグVを最後に優勝から遠ざかるが、王体制1年目の84年から早くも「“巨人改造計画”の中身 王監督が狙うトレードでロッテの落合獲得」(週刊ベースボール1984年9月17日号)という特集記事が掲載されている。頼りない四番原の代わりは球界最強スラッガー落合しかいない、というわけだ。翌85年には「交換選手は中畑プラス3億円」との報道。ちなみにこの年、認定された労組日本プロ野球選手会の初代会長は中畑清、副会長を落合と梨田昌孝が務めていた。 さらに稲尾和久監督が辞任した86年のストーブリーグは、11月上旬、日米野球に参加中の落合自身が「稲尾さんがいないのならロッテにいる必要がない。個人事業主として、一番高く評価してくれるところと契約したい」と宣言したことにより報道が過熱。「篠塚、西本、角と交換というが落合博満は本当に巨人に必要か」(週刊文春1986年11月20日号)、「巨人ロッテ担当記者緊急座談会、落合トレードの『Ⅹデー』はいつだ?」(週刊ベースボール1986年12月1日号)とオレ流の巨人移籍が既定路線のような論調も目立った。
星野仙一が明かした“ウラ話”
しかし、交換選手で折り合わず、時間だけが過ぎていく。11月20日、ロッテの有藤道世新監督の「1対3になるなら全員投手を、それも若くて将来性のある投手を要求する。江川と槙原(寛己)、桑田(真澄)をくれないかな。落合の代わりになる野手はバースくらいだ。巨人にはいない」という現実味のない発言は、事実上の交渉終結宣言でもあった。その騒動の渦中で、オレ流は所ジョージと出演したテレビ番組で『巨人の星』の主題歌を歌ってみせるのだ。 そこで逆転の落合獲りに動いたのが、中日新監督の星野仙一だった。現役時代に弟分として可愛がった25歳右腕の牛島和彦に加えて、上川誠二、平沼定晴、桑田茂を出す1対4の大型トレードを電光石火の早さで成立させるのである。後年、星野が明かした裏話によると、「もう30年もたつんだから時効かな。ロッテは篠塚(和典)を欲しかった。でも巨人としては出せないと。それから(候補を)いろいろ出したけど、ロッテから見ればいい名前がない。それでご破算となった」(スポーツ報知2016年12月23日付)という。 前年の85年オフには定岡正二が、近鉄へのトレードを拒否して、電撃引退する騒動があったばかり。篠塚も「出すならオレにも覚悟がある」と匂わせ、第二の定岡になる恐れもあった。のちに“平成の大エース”と呼ばれる巨人の斎藤雅樹も移籍を覚悟していたが、86年12月26日夜に『ニュースステーション』で生中継された落合の中日入団会見をテレビで見て、本当に自分のトレードがなくなったことを知り家族は一斉に拍手をしたという。当時の“巨人ブランド”にはそれだけの魅力があり、そのど真ん中で、ONと比較され過剰なバッシングを受けながら、傷だらけで四番を張っていたのが原辰徳だった。
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