親しかった人々がみんな「死んでいく」…伝説のストリッパーに刻一刻と迫る「タイムリミット」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第121回 『迫りくる死の影...「陰部露出」で昭和を彩った伝説のストリッパー・一条さゆりが“生活保護受給者”へ転落するまで』より続く
親しい後輩の死
解放会館の部屋で暮らすようになったころ、彼女は体調が許すと、近くに住む踊り子時代の後輩を訪ねている。居酒屋「大ちゃん」を開いたとき、縄のれんをプレゼントしてくれた香取優子だった。 「スネークショーやってた子です。ヘビを30匹くらい使うの。歳はあたしとあんまり変わらないけど、デビューはあたしのほうが先。引退して近くのアパートに旦那さんと一緒に住んでいた。あたし、寂しくなるとそこ行ってた。もうこの世にいないけどね。つい最近亡くなったんです」 後輩のアパートは西成署のすぐ横にあった。解放会館からは歩いて2、3分だ。 香取が亡くなったのは京都である。夫と2人で引っ越したばかりだった。 「あの子、心臓が悪かったんかな。旦那さんが下(炊き出しの会の事務所)に(死亡の)連絡をしてきた。あたしは、こらえらいこっちゃ、えらいこっちゃと思って、すぐに京都まで行きました」 一条は葬式の手伝いもしている。
死後への憂い
香取が逝って、親しい友人がいなくなった。時折無性に寂しくなるようだ。 「そんなときは詩ちゃんに電話するの」 加藤が仕事で、一条を訪ねられない日が続くと、彼女は加藤に電話し、「彼氏できたん?」と聞いている。時には留守番電話に向かって2分近くもしゃべり続けたらしい。 一条を取材し小説を書いた駒田信二はこの2年前、そして、映画監督の神代辰巳は前年、相次いで亡くなっていた。 香取について話した最後に、一条はぽつりと言った。 「神代監督、駒田先生。みんな死んでいくわ。あたし、死んだら無縁仏になるんかなあ」